湘南参上
　
　
　湘南１３４号・・・。
　一台の単車が、物凄い速度で走っていく。
　風を切り裂くようなそのスピードは、まるで一つの線のように流れていく。
　だが、よくよく見るとその単車には、二人の人物が乗っていた。
　後ろに乗っていた者の長い髪が、風に吹かれて舞い上がる。
　乱れる髪の間から覗く顔は、綺麗に化粧を施され・・・一見するとモデルのようにも見えた。
　「・・・ヒロォ・・・」
　不意に柔らかな声が響く。
　後ろに乗っていた人物のものだ。
　だが、それは明らかに男の声だった。
　「あぁ？」
　運転していた者が、前を見つめたまま応える。
　「“予感”がする・・・」
　「・・・千冬！？」
　「『横浜』・・・」
　謎掛けのように不思議な微笑を浮かべると、そのまま千冬と呼ばれた者はまた黙ってしまう。
　「ハッ・・・そいつぁ、“楽”しみだナ！？」
　単車を操っていた者の顔にも、笑みが広がる。
　ニッと浮かべる笑みは、どことなく寒けを引き起こすような雰囲気が漂っていたが。
　単車を操っている者の名は−八尋渉。
　湘南の暴走族“阿修羅王”の八代目“総長”であり、“相州聖龍連盟會”の“會長”だった。
　『血みどろの八尋』と言えば、湘南やその近郊で知らぬ者はいないとまで恐れられている強者である。
　その後ろに乗っているのは、その“阿修羅王”の親衛隊である“曼珠沙華”の頭を張っている千冬慎だった。
　二人は、仲間の“妖艶童子”の五代が、横浜で“聖龍連”の名を汚した事に腹を立てて、そのケジメを付ける為に、向かっていたのだ。
　今までは“１３４”を走って、同じ湘南の族“極悪蝶”と対立していたので、他の地域にまで勢力を広げてはいなかったのだが・・・ここにきて漸く動き始めたという所だろうか。
　自分らのように纏まって連合を作っているチームは、横浜にはないが、噂に聞く所によれば、“夜叉神”という巨大な組織もあるらしい。
　そいつらが、どれ程強く・・・またいつ湘南にくるのかを計る為にも、一度探りを入れておく必要があった。
　ニヤッと笑った八尋が、アクセルを開くと、一直線に突き進んでいた、“蒼紺”のＣＢ４００Ｆのスピードが、また一段と速まった。
　それは、間違う事なく、横浜を目指していた。
　市内に入って暫く流してから、八尋は、あるコンビニの前で単車を止めた。
　「ヒロォ！？」
　「“煙草”が切れやがった・・・」
　問いかける千冬に向かって、苦々しく告げる八尋に、フッと笑って千冬は軽い動作でバックシートから降りた。
　「おい、千冬・・・サイフ。」
　そのまま歩き出そうとする千冬に、八尋はジャンパーの内ポケットからサイフを取り出して投げてやる。
　それを、上手くキャッチすると、クルリと振り返って千冬は店の中に入っていった。
　〔ニャア・・・・〕
　「ん！？」
　不意に足元で聞こえた鳴き声に、八尋が意識を取らわれる。
　何だ？と思って見たら、そこにいたのは一匹の小さな子猫だった。
　それも、結構人なつっこそうである。
　途端に、八尋の全身から、凄味が消え失せ・・・柔らかな微笑が浮かぶ。
　「なんだよ・・・お前・・・なつっこいゼ。」
　小さな肢体をヒョイと抱えて、そっと両手で壊れないように扱う。
　大きくて真っ直ぐな瞳が、キョトンと八尋を覗いていた。
　「“可愛”ーな、オメー・・・」
　片手で支え直すと同時に、八尋の耳がピクリと動く。
　近づいてくるその“排気音”に。
　それは、確かに『同音』だった。
　明らかに改造っているので、全く同じという訳ではないが・・・“同種”の単車である事には、変わりなかった。
　それと、もう一つの“排気音”。　八尋の耳についたのはその独特な響きを持つ方だった。
　地の底から、這うような・・・それでいて、力強い“加速”を秘めているだろう−−音。
　どんな単車なのか、興味が沸いて、八尋はその場にジッと立ち止まって待っていた。
　
　
　やがて、２台のバイクがその場に現れる。
　特攻服を着た金髪の者と、ムラサキの半ヘルを被った者は、どちらも、八尋の想像外の風格をしていた。
　〔ミヤアアア♪〕
　不意に八尋の腕の中にいた小さな猫が、その姿を見て嬉しそうな鳴き声を上げた。
　その鳴き声に反応して、視線が集まる。
　「トラノ・・・スケ・・・？」
　金髪の小僧が呟いた言葉に、八尋も訝しげな顔つきとなる。
　それは、この猫の事を言っているのだろうか？
　「トラノスケ・・？」
　随分と似合わないネーミングに、一瞬可笑しさがこみ上げる。
　「ヘェ・・？トラノスケってゆーんだコイツ・・・」
　その感情が、そのまま顔に出てしまう。
　途端に、その場の空気が変わった。
　金髪小僧の柔らかな雰囲気が、立ち消えて凄まじいまでの殺気が伺える。
　「ホラ・・？友達が来たぜ・・？」
　「ア・・・アハ・・どーも。そーなんです・・トラノスケ・・ボクらの友達で・・・」
　腕の中の猫を、そっと地面に下ろしてやると、後ろにいた少年の方が、笑顔で喋る。
　途端に、コンビニのドアがスーッと開かれて、中から千冬が出てきた。
　「オウ・・千冬ゥ・・・行くぜ？」
　八尋が声を掛けると、千冬は彼らを見つめて謎めいた微笑を浮かべた。
　最初にそれに反応したのは、トラノスケだったようだ。
　全身の毛を立てて、フゥッと怒りを表立たせて見せた。
　「くっく・・・オメーの“コロン”の匂いが甘ったるいってよ・・？“毒”ぬってやがんからナ・・・オメー・・・」
　単車に戻った八尋が揶揄するかの如く告げる。
　何も返答しなかった千冬が、そのままバックシートに跨がると、エンジンを吹かし始めた。
　「よォ・・？にーちゃん・・“迅”いかい？ＣＢ４００Ｆ・・・」
　金髪小僧の問い掛けに、八尋は視線を投げかける。
　後ろに座った千冬が、買ってきた煙草をくわえさせてやる。
　「別に・・・」
　視線を前に戻した八尋は、興味がないという風に、そう告げた。
　そうして、単車を走らせる。
　いつまでも、こんな場所にいる暇はないのだ。
　コンビニから離れて・・・町中を走り始めた八尋は、ずっと考えていた事を千冬に告げる。
　別に応えが欲しかった訳ではなく・・・むしろ独り言のように。
　「見たかよ・・？千冬ぅ・・・アイツ・・“爆音小僧”の“鮎川”だぜ？」
　前を向いたまま、先程の殺気を思い出して、八尋は軽い笑みを浮かべた。
　“爆音小僧”と言えば、先代は横浜で随分と名を広げていた者たちだ。
　誰かが抗争で死んだケジメを取って、解散した筈だったが、その後を復活させた“鮎川真里”が、今の人物だと八尋は確認したのだ。
　初っぱなから面白い体面をしたと思った八尋は、これから先の横浜での他の出会いを思いやって笑みを浮かべたのだった。
　「ヒロォ・・・」
　後ろに座っていた千冬が、急に呼んだので、八尋は意識を戻す。
　「何だ？」
　「もう一人は？」
　その問い掛けに、八尋は眉を顰める。
　金髪小僧は、その特攻服によって鮎川だと理解ったが、もう一人は、容姿こそは不良っぽかったが、低い物腰といい、凄味のかけらも見られなかった様子からして、余り視界に入っていなかったからだ。
　まぁ、ちっとは気になったが、だが、他人の物にまで手を出す趣味はない。
　何しろ、完全に鮎川が前面に立っていたのは、後ろにいた者を庇っていた為だと、八尋は気付いていたのだ。
　「知んねー・・・？“爆音小僧”のメンバーじゃねぇのか！？」
　千冬の問い掛けの真意が掴めなくて、八尋は思った事をそのまま口にした。
　「・・・『龍』が−いた。」
　端的に告げる千冬は、少し言葉を区切ってから・・・クスっと微笑を浮かべる。
　「八尋ォ・・・戻れよ。」
　完全に“声音”を変えた千冬が、命令する。
　「あぁ！？オメー何言って・・・？」
　突然の千冬の言葉に、八尋の方が驚く。
　「いーから、戻れよ。確認すっから・・・」
　背後から響くその声に、流石の八尋も背筋を凍らせる。
　『血みどろの八尋』と言うのは、あくまでも喧嘩の上で、相手を半端なきまでに、完全に息の根を止める状態まで叩き潰す事からつけられた仇名なのだが・・・八尋の存在によって影となってしまうこの千冬の方が、実は末恐ろしい存在だったりするのだ。
　化粧なんかしているせいで、周りからは八尋の“オンナ”に間違われているが、それこそ、大間違いなのだ。
　また性格がムチャクチャ“イ”いので、それを逆手に取って、幼馴染みの八尋を良いように使っているだけで・・・。
　「八尋・・・オレにモンクある！？」
　背中を、スーッと指でなぞられて、ゾクウッと八尋が青ざめる。
　爆弾を後ろに乗っけているようなものだ。
　八尋が、先程の子猫を可愛いと言ったのは、本心からの言葉だった。
　何しろ、自分には、凄まじく綺麗でも、性格が超わがままなシャム猫のような千冬がいるのだから。
　できる事なら、自分に甘くすり寄ってくるようなあんな“子猫”の方がずっと良かった。
　そう・・・例えば・・・。
　「ねーよ。だけどよぉ、ありゃ、“鮎川”のモンじゃねぇのか？“武丸”と殺る前に、“爆音”敵に回すんかよ！？」
　「・・・フフン・・・・カンケーねえよ。オレは、確認するだけだしぃ・・・」
　心なしか嬉しそうに告げる千冬に、八尋は喉まで出かかった言葉を無理矢理飲み込んだ。
　ここで『嘘付け』などと、告げたら、どんな報復が待ち構えているのか理解らないからである。
　「アー・・・あぁ・・・理解ったよ。」
　想いとは逆の言葉を告げて、八尋は単車をＵターンさせて今来た道を引き返し始めた。
　
　
　不機嫌だった。
　千冬はムチャクチャ不機嫌となっていた。
　折角Ｕターンしたというのに、先程のコンビニの前に、既に彼らは居なかったのである。
　厄介事にならなくて、八尋がフッと気を抜いたのも束の間・・・千冬の端正な顔がピキっと凍りつく。
　「八尋ぉ・・・捜そーネ？」
　そのまま夜叉のような微笑で告げられて、八尋は完全に千冬が捕らわれている事に気付いた。
　だが、何故・・？という想いが拭えない。
　確かに、大きな瞳が印象的であった事は、八尋も認めるのだが・・・。
　「千冬・・・？」
　「アレ・・・多分・・・『龍神』と係わってるよ・・・。」
　千冬の答えに、八尋の目がカッと見開く。
　その名前によって。
　『龍神』・・・それは、八尋にとっても忘れられない者でもあった。
　「ヘェ・・・？そりゃ、スゲェ。」
　ニマッと笑う八尋も、千冬の言葉に興味が沸いたようだ。
　千冬がどんな根拠があって、そんな事を言うのかは理解らなかったが、何となくそれも面白いかも知れない。
　「行くぜ。」
　短く告げると、八尋はまた単車を横浜の中央へ向けて走り出させた。
　
　
　それから、約３０分後に、二人は目的の人物を見つけ出した。
　最初に気付いたのは、千冬の方だった。
　「ヒロォ・・・？」
　呟いて、八尋の肩ごしに前方を示す。
　「千冬？」
　「・・・やっぱり、“龍”が“存在”る。」
　その言葉に、八尋が目を細めて前方を見つめると、小さな背中が見える。
　「オーケェ・・・。」
　目標を確認した八尋は、アクセルを開いた。
　徐々に距離が縮まっていく。
　そうして、道を開くかのようにその前を走っていた人物が、“鮎川”でない事に気付いて八尋はニヤリと笑みを浮かべた。
　「マジかよ・・・？こいつは、オモシレェ・・・！？」
　その者が、何者なのかを確認した八尋は、楽しくて仕方がないという顔で、呟く。
　「近づけろよ・・・八尋・・・。」
　後ろで言う千冬の言うとおりに、八尋はスピードを少し落として、単車をその側に近寄せた。
　「あ・・あの・・さっきの・・」
　二人の姿を見た途端に、大きな瞳を更に見開いた少年が、小さく呟く。
　そんな少年に、いきなり千冬は左手を差し出した。
　点目になった少年が、頬を赤らめる。
　途端に、千冬は確信した。
　自然と笑みが零れ出す。
　それは−確かに『運命』のようなものだった。
　千冬の機嫌が直った事に気付いた八尋が、薄く笑う。
　「“美麗”・・てめぇが“大珠”・・・」
　アクセル一つで、前に出た八尋が、前方を走っていた者に向かって声をかけた。
　途端に、大珠の顔が険悪なものと化した。
　視線が絡まった所から、今にも火花が飛び散りそうである。
　千冬の視線は、ずっと少年を見つめたままだ。
　「誰よ・・？邪魔すんなよ・・？」
　大珠の隠さない殺気が、八尋に向けられる。
　その言葉通りに、底知れない怒りを抱いているようだ。
　それが、また八尋の楽しみを募らせているのだが・・・。
　「くっく・・“出来たばっか”の“横須賀”の“小せェトコ”じゃ知らねーか・・？」
　揶うかのように、ニヤリと笑みを浮かべて言い切る。
　「オレんトコはよ・・・かまわねーぜ？べつによ・・・ボクゥ・・・・」
　完全に楽しむつもりで、告げた途端に相手は思いどおりの反応を返した。
　素早い動作で、左足で蹴りを入れてきたのだ。
　普通の者なら、間違いなく決まっていた蹴りを、八尋はグリップを握っていた右手を持ち上げてそこで受け止めた。
　だが、勢いが強くて単車が傾いてしまう。
　傾いた単車は、そのまま路上に止まっていたコルベットに激突する筈だった。
　そのままの状態であれば・・・。
　それを確認した大珠が、勝ったとばかりに笑みを浮かべる。
　「ダ・・ダメだっ・・！？激突しちゃ・・・！？」
　後ろを走っていた少年が、思わず叫んだ。
　その瞬間、視線を外さなかった千冬が、左足を振り上げて、ぶつかる筈だったコルベットの側面に、強烈な蹴りを入れる。
　その反動で、単車はまた元のラインに戻ったのだが、千冬が蹴ったコルベットの側面はベッコリと凹みができてしまっていた。
　「ヘェ・・・？一発目から殺す気かい・・」
　完全に表情を変えた八尋が凄味を増した顔つきで尋ねる。
　「てめェ“聖龍連”の・・・」
　八尋が誰かを理解した大珠が、同じような表情で呟く。
　いつ、接触して喧嘩が始まってもおかしくない雰囲気が、その場を支配した。
　と、次の瞬間に、突然二人の間を大きな旗が、すり抜けた。
　“夜叉神”−本郷支部−と掲げられたそれに、二人の気が逸れる。
　「オぉーーい！“拓”ちゃんよォ・・・」
　走りながら現れたモヒカン頭の男が、少年に向かって笑顔を見せる。
　「困った時ぁ　この“夜叉神の踊るフランケン”“鎖島直”サンにまかしときなァ・・！？」
　「サ・・・“鎖島”サン・・？」
　続けられた言葉に、拓と呼ばれたあの少年の顔付きが変わる。
　「“夜叉神”・・・？」
　存在を知らなかっただろう大珠が、疑問符付きで呟いていた。
　その間にも、何台もの単車が、その場に現れてくる。
　どうやら、“夜叉神”の連中らしい。
　八尋は、おやおや・・・という表情を浮かべていた。
　まさかここにきて、こんな展開になるとは思いもしなかったのだ。　
　しかも、“夜叉神”のターゲットは、自分たちらしい。
　「おとなしく端　寄せろっ・・・てめぇら・・・」
　拓に向けるのとは全然違う表情で、告げられた言葉に、八尋と千冬は顔を見合わせた。
　「あ・・あの・・“夜叉神”・・“本郷支部”のみなさん・・？暴力沙汰は・・・喧嘩しないでくださいネ？」
　困った顔つきの拓が、小さく呟いている。
　「オラ行けよ！？チビィ！」
　「“萌子”サンがてめーらんコト応援してんゾォ！」
　次々に掛けられる声に、拓の顔に笑みが戻る。
　「行こうッ！拓ちゃん！」
　八尋たちの単車が、完全に“夜叉神”に包囲されたのを見た大珠が、声を掛ける。
　「う・・うんっ！」
　八尋たちを気にしながらも、その小さな背中は闇の中に走っていってしまった。
　八尋たちは、“夜叉神”の連中に囲まれたまま、少し走り続け・・・近くのファミリーレストランの駐車場まで連れてこられた。
　「蒼紺のＣＢ４００Ｆ・・スカしてんじゃねーかよ？喧嘩ぁ売られたと思ってるのか？にーちゃん・・・ここ辺じゃ見ねー顔だナ・・・オレが“夜叉神”本郷支部の“鎖島直”だ・・・」
　単車を止めて降りると同時に、モヒカン男に告げられた言葉に、八尋と千冬は顔を見合わせた。
　先程言っていた、“夜叉神”の突撃隊に次ぐ実力の支部と出会った事に対して、笑みが零れる。
　「女連れでアオリなんかくれやがってよ・・・あのＳＲあ“悪魔の鉄槌”だぜ？それにもう一人は・・・」
　「知ってるぜ・・？“美麗”の初代・・・一色“大珠”だろ・・・？」
　フフンと鼻で笑うように告げると、八尋は鎖島を一瞥した。
　名前だけで、ビビるぐらいなら、最初っから“横浜”まで来たりしない。
　「彼女ぉーーいー匂いしてんねー・・“とどめ刺し”ちゃおうかナぁ？」
　メンバーの一人が千冬に近づいてくる。
　鎖島と対峙したまま、八尋は唇の端を持ち上げた。
　千冬の機嫌が最悪だろう事を思いやって。
　「アッレェ？ナンだよ？湘南ナンバーっスよ？コイツゥ！？」
　八尋の単車を指さしながら、別の奴が告げる。
　「とにかくよ・・・“女連れ”だおとなしく・・・地元帰れ・・・横浜でイキがんじゃねーゾ・・・？」
　その言葉で完全にブチ切れた千冬が行動を起こした。
　突然路上に屈み込む。
　「オイ？“千冬”ゥ・・」
　珍しく静かな怒りを秘めている千冬に、八尋が声を掛ける。
　既に自分の出番がなくなっている事を、感じながら・・・。
　「ぎゃああああっ！！」
　凄まじい悲鳴が上がる。
　“車止め”のコンクリを持ち上げた千冬が、絡んでいた男の足元にそれを落としたのだ。
　そのままそれを押しつけるかのように足を乗せて押しつぶした。
　更なる悲鳴が、響く。
　「ああ！？この女っ！」
　「頭オカシいンじゃねーのか！？てめぇっ！」
　いきがる“夜叉神”メンバーの中で、鎖島だけが、冷めた視線を向けていた。
　記憶の中から、浮かび上がるおぼろげな輪郭が、完全に目の前の人物と同化する。
　「コイツ・・・“曼珠沙華”の・・・“千冬・・・慎”・・・！？」
　呟きが、鎖島の口元から零れた。
　それの意味する事を、悟ってしまう。
　親衛隊の頭が、たった一人で行動するわけもなく・・・ならば、一緒にいる者は・・・？
　「てめェは・・・じゃあ・・・」
　少し焦った顔つきで、問い掛けようとする鎖島の後を、八尋は受け取った。
　「あぁ・・・“鎖島”とか言ったてめェよ・・・そーだぜ・・・？オレが八代目の“阿修羅王”の頭・・・“相州聖龍連盟會”“會長”だ・・」
　畏怖を感じさせる圧迫感を漂わせて、八尋がゆっくりと自己紹介をする。
　自分の名を明かす・・・それは、横浜に対する八尋の宣言でもあった。
　荒れる千冬が、そのまま血のついたコンクリを倒れた相手に向かって情け容赦なく叩きつけようとしたのを、鎖島が右足でもって蹴り落とした。
　「上等だぜ・・・？かわいいねーちゃんよぉ・・・」
　「オレは美しいって言われるのは好きだけどよ・・・“ねーちゃん”って言われんのは嫌ーなんだよ・・・？」
　凄味を効かせて鎖島が告げた言葉は、千冬にとって禁句でもあった。
　「あーあ、知らねーゾぉ・・・？」
　八尋はすっかり面白がって野次を飛ばす。
　一度ブチ切れた千冬は、八尋でさえ、手を焼くほど厄介なのだ。
　「特にてめーみてーな醜い奴に言われんのは我慢できねーな・・・」
　はっきり言って、これは八つ当たりとも言えるだろう。
　拓とかいう少年から、離されてしまった事に対する千冬の怒りなのだから。
　「な・・み・・醜いだとぉ！？こ・・コノヤロウ・・・！」
　「喋るな“フランケン野郎”！」
　顔の事を言われて、怒りを表す鎖島に追い打ちを掛けている。
　「“聖龍連のてっぺん”が・・・喧嘩売りやがったのかよ？オレらによぅ・・・」
　「いいぜ・・・！“夜叉神”だろ・・！？“鰐淵”ってヤツ・・・ひっぱられてんだろ？それでもやるかよ？戦争でよ・・・」
　千冬に向かっても無駄だと思ったらしい鎖島が、八尋に向かって問いかける。
　それに、八尋はニッと人の悪い笑みを浮かべて見せた。
　確かに、“夜叉神”は横浜では巨大かもしれないが、八尋だとて“聖龍連”を動かせるのだ。
　『横浜』対『湘南』ででかい騒ぎを起こしても面白いかもしれない。
　そう思った八尋は、瞬間凄まじい殺気を感じてハッとした。
　鎖島の背後・・・道の向こう端に、誰かが立っている。
　鋭い視線はそこからだった。
　＜誰・・・だ？＞
　目を細めて、確認した八尋の瞳に、まず映ったのは“雷”の文字だった。
　そいつが来ているドカジャンの背中に、刺繍されていた−それ。
　気に触る視線の持ち主は、そいつだった。
　＜アノヤロウ・・・＞
　蔑んだような視線が、向けられる。
　ふと持ち上げられた指先が、完全に八尋を指さし・・・ニタッと浮かべられた笑みまでも、八尋を馬鹿にしていた。
　途端に、熱くなり始めていた八尋の感情が凍結する。
　間の道路を通ったバスに阻まれて、視界からその姿が消える。
　「行くゾ“千冬”ぅ」
　「あ？」
　端的に、八尋は決定だけを告げた。
　それに対して、“夜叉神”の下っぱ共が何かをわめいていたが、そんなものはもう八尋の耳には入っていなかった。
　「“武丸”ってヤツ捜してたんだけどよ・・・！？見なかったか！？“鎖島”ぁ・・・」
　「見てねー・・・」
　八尋の問い掛けに却ってきた返事を聞いた途端に、八尋はそのまま単車を走らせた。
　この場所にもう用はない。
　そう思ったのだ。
　最初にここにきた目的を、さっさと片づけて・・・メンツを揃えてこなければ、この『横浜』は摂れないだろう。
　「何だよ・・・ヒロォ・・・」
　まだ発散しきれていないという風に、告げる千冬に、八尋は何も答えなかった。
　なんだと言うのだろうか？
　この胸騒ぎともとれる・・・沸き上がるような予感は？
　何だかでかい騒動が、起こりつつあるような気がして仕方ないのだ。
　「・・・『龍神』・・・動くのか？」
　独り言のように呟く八尋に、千冬はニッと不可思議な微笑を浮かべる。
　「背中に“龍”を持ってるあの拓とかいうの・・・気に入ったナ♪」
　嬉しそうに言う千冬に、八尋は苦笑する。
　「オイオイ・・・まだ、追えってかよ？」
　「・・・“武丸”に会いたかったらネ。」
　意味深に答える千冬に、八尋は訝しげに目を細める。
　「どーゆー事よ！？」
　「“爆音小僧”に“美麗”・・・それと“夜叉神”。・・・しかも『龍神』の守護を受けてんだよ・・・？まだ面白いショーが見られるかもしれない・・・」
　夢を見るように告げる千冬の言葉に、八尋は一瞬考え込む。
　童顔な上に、顔中傷だらけで・・・凄味のかけらもなかった・・・『者』。
　なのに、まるで守るかのように自然に周りの者たちが動いていた。
　何かが、あるには違いない。
　その何かが、呼び寄せるのだろうか？
　「そりゃ、“予感”かよ！？千冬ぅ？」
　予知能力があるのではないかと思われる程、千冬の勘は鋭い。
　その千冬が“視”たと言うのだ。
　アクセルを全開にして横浜の街並を疾走しながら、八尋は尋ねる。
　「・・・さぁね。」
　恍けたように答える千冬の瞳だけが、キラリと光って問い掛けを肯定していた。
　
　―――何かとてつもない事が、起こりそうな予感。
　天空の三日月が、『緋』く染まっているようだった・・・。
　
　
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