|
ＲＯＳＥ＆ＲＯＳＥ
湘南１３４号松波パーキング入口・・・。
“聖龍連”の會長である八尋渉は、周りに集まっているチームの中に、“阿修羅王”の親衛隊の“曼珠沙華”の存在がない事に気付いた。
「・・・おい。千冬はどうした？」
近くにいた、“阿修羅王”の幹部の連中に尋ねても、誰一人として知っている者がいないのを見て取ると、八尋は、ビキッと額に血管を浮き立たせた。
「―――あの野郎・・・まさか・・・。」
知らず、呟きが漏れてしまう。
先日の夜に、横浜に奇襲をかけに行った時に出会った者を見てから、すっかり横浜に行くのを楽しみにしてしまった千冬は、それこそ、八尋が止めなければ“聖龍連”を動かしそうな勢いでもあったのだ。
『あぁ・・・つまんねーよ、ヒロォ・・・。“横浜”行ってもイーだろ？』
集会の最中にも、會長である自分の隣で、平然とそんな事を言っていたのを思い出して・・・怒りと共に不安が沸いてくる。
「・・・一人で抜け駆けしやがったんじゃねーだろうなぁ・・・」
徐々に怒りの表情となっていく八尋のその迫力に、周りの連中が焦りだす。
「あっ・・・あの・・・すぐ探しますから！？」
「おい、テメェ等、知ってる奴いねーか・・・・」
次々と声を飛ばしていく幹部連の表情は、蒼白となっていく。
普段は、余程の事がなければこんな風に、怒りを表に出さないだけに、八尋の状態が最悪なのだという事を知ったが為に・・・。
だが、結局誰も知らない様子に、八尋はついにぶち切れた。
これだけのメンバーがいて、見つからないのだから、この集会に“曼珠沙華”のメンバーは誰もきていないのだ。
そうして、それの意味を悟った八尋が立ち上がる。
明らかに、恐怖で後ずさった連中を一瞥してから、八尋は自分の単車へと歩いていく。
「“八尋”クン？」
「総長？」
“阿修羅王”の幹部たちが、声をかけると、エンジンを吹かした八尋は、特攻服を脱いで、特攻隊長に渡した。
「“八尋”ぉ・・・？」
“邪神”のヘッドの室木が、前に立って、説明するように告げるが、八尋は煙草をくわえて煙を吐き出した。
「後は、テメーに任せるゾ。室木ィ・・・。俺は、あの“バカ”を連れてくる。」
「あぁ？！話が見えねぇーゾ！」
「“八尋”クン・・・？」
「―――あの“バカ”は、目ェ離すとロクな事しやがらねぇ・・・」
ボソリと告げる八尋の言葉で、付き合いの長い幹部連は言いたい事を察知してみせた。
要は、全て千冬が絡んでいるのである。
“阿修羅王”の親衛隊と言っているが、八尋が、千冬の事を片時も側から離さない事は周知の事実であった。 女よりも美しい男・・・。
違和感はあるものの、八尋と千冬は二人で並ぶと実に絵になってしまう。
しかも、その強さも半端ではなく・・・“曼珠沙華”のヘッドである千冬慎は“聖龍連”の中で特別な地位を持っていた。
尤も、トラブルメーカーである事は、“阿修羅王”の幹部達しか知らない事であったが・・・。
走り出す八尋を止める者は、もう誰もいなかった。
拓が、その場面にかち合ったのは、本当に偶然の事だった。
珍しく一人になった学校の帰り道で、単車に乗っていた拓は、家に帰る途中で、それを見てしまったのであった。
「・・・あれ？」
一人の人間が、何人かに囲まれているようなのだ。
最初に見た時は、関わり合いにならないように・・・と通り過ぎようとした拓であったが、その絡まれていた人物が、あの夜に出会った綺麗な人だったので・・・拓は驚いた表情を浮かべながらも単車を止めた。
あの時一緒にいた男の人の姿が見えないので、どうやら一人でいた所を絡まれてしまったのだろうと拓は思った。
争い事が余り好きではないし・・・自分が弱い事も知っているので、こういう事に対してつい逃げ腰となってしまうのだが・・・流石に見て見ぬ降りをする事ができない拓であった。
尤も、そんな事ができるような性格をしていたなら、今頃もっと平凡な生活を送っていた事であろう。
＜どっ・・・どうしよう！？た・・・助けなきゃ・・・でも・・・どうやって・・・・＞
心の中で七転八倒しながらも・・・絡んでいた者の手が、その人の腕を掴んだ時には、拓の身体は無意識の内にその場に飛び込んでいた。
「やっ・・・やめろぉっ！！」
叫びながら飛び込んだ拓は、そのままその人を庇うように立つ。
「なんだぁ？！このチビは・・・？」
「なぁに、カッコ付けて出てきやがんだぁ、おいっ！」
突然に現れた拓に、不良たちの顔つきが、凶暴なモノと化していく。
「ケガしねぇ内に引っ込んでろよ・・・。」
「そうそう・・・ガキには、用はねぇんだよ！」
次々と言われる侮蔑の言葉に対して、拓はキッと顔を上げて相手を睨み付ける。
喩え、自分が言われても仕方ない容姿をしていたとしても、せめて一矢ぐらいは心意気を見せるつもりで・・・。
戦う構えをする拓に、不良達は嘲るような表情を浮かべると、ニタニタとした笑みを浮かべた。
「聞こえねぇのかよっ！」
言葉と同時に、殴られそうになったが・・・拓はそれを辛うじて避けた。
だが、卑怯な連中は拳を繰り出しに行った拓の身体を、別の奴が後ろからはがい締めにしてしまった。
「・・・ナニっ？！グッ・・・」
背後の奴に気を取られた瞬間に、前方からの強打を受けて、拓の身体がグラッと傾く。
何とかして、束縛から逃れようと身体を捩るのだが、がっちりと掴まれた力は、拓の精一杯の力でもビクともしなくて・・・サンドバックの状態となってしまう。
「けっ、何だよこいつ・・・超ー弱ェじゃんよォ。」
倒れてしまった拓を、蹴った男が鼻から馬鹿にしたように告げて・・・興味を無くしたようにコンクリに唾を吐き付けた。
「だからよォ・・・俺らとどっかいこうゼ。」
「そーそー、イイ所連れてってやっからヨ・・・。」
そうして、ニタニタと笑いながら、喧嘩してる最中にも逃げださなかった人物に向かって、また口説き始める。
これだけの力を見せれば、怖くなって何でも言う事を聞くだろうと彼等は踏んでいたのだ。
倒れた拓は、完全に意識を失っていた。
俯き加減だった、その人物が、真っ赤な色の唇の端を軽く持ち上げた。
「なぁ・・・ぎゃぁっ！！」
馴れ馴れしく、肩を抱こうとした相手の手首は、次の瞬間掴まれて反対方向に捩じ曲げられた。
「なっ・・・！」
「てめぇっ！！」
ガラリと表情を変えた連中に向かって、顔を上げたその人の顔は夜叉と化していた。
綺麗に化粧された顔が、ゾッとするような恐怖を呼び起こす。
続けて繰り出された拳が、拓の動きを封じ込め その勢いのまま、回し蹴りがもう一人の男を薙ぎ倒す。
一瞬で残ったのは、拓を殴った男だけになってしまったのだ。
「―――テメェは一体・・・？！」
先刻までの怯えた様子など、まるで嘘のようなその豹変振りに、完全に相手は脅えてしまったようだ。
そんな男をスッと指すと、そのまま長い髪を反対の手でかきあげる動作をする。
「・・・テメェは、“殺”ス・・・・。」
赤い唇から零れ落ちたのは、完全な男の声だった。
相手をずっと綺麗な女だと思い込んでいた連中は、ここに至って漸く自分達が取り返しのつかない事をしてしまったのだという事に気付いたのだった。
素早い動作のまま、両手を胸の所で交差させると、悲鳴を上げようとしていた男の顔面に向かって、撫でるように一瞬で両手を這わせた。
「ぎやゃあぁぁぁ！！」
凄まじい悲鳴と共に、男の顔面にいく筋もの切り裂かれた後ができてそこから血が吹き出した。
「顔がぁ・・・があぁぁ・・・！！」
倒れこんで両手で血の流れる顔を抑える男を、足下にすると、そのまま非常とも言える動作で、踏みつぶす。
長く続いた悲鳴が止んで、その男がピクリとも動かなくなるまで、それは続けられた。
「ひいぃぃっ！」
その凄惨な場面を見てしまった他の連中は、恐怖に捕らわれて、顔面を蒼白にして悲鳴を上げながら全員逃げだしてしまった。
それらの背中を、冷たい視線で見送った後で、その者は倒れていた拓を見つめた。
その眼差しは、連中を見つめるモノとは、ガラリと変わっていて・・・捜していた“もの”をやっと見つけたというような柔らかさが秘められていた。
倒れている拓の側に、スッとしゃがみこむと、そのまま殴られた跡を指先で辿っていく。
痛々しいその傷口にこびりついていた血が、指先につき・・・その者はそれを自分の唇に持っていって、そのまま赤い舌でペロリと嘗めてしまった。
「・・・見つけた・・・。」
そうして、何かを確信したように、にっこりと微笑を浮かべる。
それは全ての者を魅了するような魅惑的なものであったが、何処か魔性じみた雰囲気が漂っていた。
拓が起きる気配がないのを見て取ると、一体何処にそんな力があるのか、そのまま抱え上げてしまう。
「―――じゃあ八尋が、追いつく前に・・・行こうネ♪」
フンワリと極上の笑みを浮かべたまま・・・その姿は路地裏へと消えて行ってしまったのであった。
「・・・ん・・・。」
拓が目覚めたのは、見知らぬ部屋の中のベットの上であった。
「あれ・・・？ボク・・・どうして・・・？！・・っ・・・！？」
起き上がろうとして、瞬間走った痛みに、拓はまたシーツに埋もれてしまう。
そうして、自分が、助けに入ったのに逆にみっともなくやられてしまった事を思い出す。
＜・・・あの後・・・どうなって・・・？！＞
すっかり意識を失ってしまったので、どうして自分が、ここにいるのかも理解らずに、拓はぼんやりとベットの上で横になっている事しかできなかった。
視線を周りに向けると、どうやらここはホテルの中のようだった。
そうして徐々に落ちついてきた拓の耳に、漸く一つの音が入ってくる。
「・・・えっ？！」
＜まっ・・・まさか・・・何っ？！＞
ザーッと流れるような音は、ドアの向こう側から聞こえてきたのだが、どう考えてもそれはシャワーの音としか聞こえないのだ。
やがて、その音が止んだ時・・・拓の動揺は一気に跳ね上がって、今にも心臓が飛び出してしまうかと思った。
暫くして、カチャッとドアが開かれた時には、思わずギュッと目を瞑ってベットの中にもぐり込んでいた。
＜ど・・・どうしよう・・・・＞
一体、何が起こっているのか、拓には見当も付かなくて・・・どうすれば良いのか想像もできない。
その人物は、毛布の中で困りきっている拓のすぐ脇に腰を降ろしたようだ。
毛布越しに、クスッという笑い声が聞こえたような気がして・・・拓はその相手を確かめる拓に、ソーッと毛布を捲ってその隙間から見つめた。
＜・・・・ぅ・・・・＞
そうして、自分が失態を見せてしまった、あの綺麗な人だと認識した途端に、恥ずかしくて真っ赤になって・・・また毛布の中に沈んでしまう。
だが、その前に逃げ場にしようとしていた毛布が、奪い取られてしまい・・・拓はハッとしたように瞳を見開いて、相手を凝視していた。
途端に、吸い込まれそうな程の艶やかな微笑に虜まれて、クラッと意識がぐらついたような気がした。
魔性の瞳・・・それは、彼の『緋い』瞳と酷似していて・・・魂が引き込まれてしまいそうだった。
『・・・ナマエ・・・は・・・？』
直接、頭の中に響いてくる質問に拓は抵抗する事もできない。
「・・・た・・・拓・・・浅川拓・・・。」
たどたどしく・・・だが、答えが口を付いて出る。
従順な反応に、相手は嬉しそうな笑みを浮かべ・・・。
掠め取られた唇の感触で、漸く拓は呪縛から解かれた。
「・・・なっ・・・何をっ？！」
拓の焦りも尤もだと思う。
綺麗なオネーさんに、ガウン姿のまま突然キスされちゃったりしたら、健全な男子高校生には刺激が強過ぎるだろう・・・・
喩え、見掛けが子供っぽくったって、拓だって、歴とした男の子なのであるから。
思わず動揺の余り、固まってしまった。
そうして、そのまま信じられない程の力で、ベットの上に固定されて・・・両手を一まとめに頭上で片手で押さえられて、初めて拓は何かが可笑しいと感じ始めた。
ここ最近、ロクな目に合っていないので、つい臆病な性格が出てきてしまうのだ。
また相手がまだ一言も喋っていない事も不安材料の一つであった。
「あ・・・あの・・・？！」
いくら美人のお姉さんでも、初対面にも等しい相手に、男の自分が押し倒されているという図は頂けないと思うのだ・・・。
「千冬・・・」
女性にしてはかなりハスキーな言葉で呟かれて、一瞬ドキッとする。
だが、その言葉で、拓は漸く相手の名前を知る事ができたので、ホッともしていた。
「ち・・・千冬さんですか・・・！？あっ・・・あの・・・どうして、ボクを・・・？」
ホッとしたと同時に、徐々に周りが見えてくる。
状態は少しも変わっていないのだが・・・取り合えず、どうして自分がここにいるのかを聞く余裕ができたのだ。
「―――“龍”がいたから。」
「はっ？！」
しかし、千冬の答えに、拓はますます意識がこんがらがってしまう。
「・・・『龍神』を知ってる・・・？」
更に告げられた衝撃的なセリフに、拓は思わず目を見開いて相手を凝視していた。
『龍神』と言えば、拓の知っている人物でいうなら、一人しかいないのだ。
しかも、それがこの町での彼のあだ名なのであるから、恐らく同じ人物を指している事は違いなかった。
「『龍神』・・・って・・・時貞くんの事？」
「やっぱり、知り合い・・・ね。」
知らず、拓が呟くと千冬はにっこりと微笑を浮かべた。
「えっ？！・・・っと、じゃ、千冬さんも・・・？」
「違う・・・欲しいのは、“龍珠”だから・・・。」
拓の問いに対して、千冬は意味深な言葉を告げると、そのまま押さえていた拓の服を脱がし始めた。
「―――あっ！？あの・・・ちょっと・・・何ッ？！！？」
突然の行為に対して、焦った拓が抵抗するが、見掛けとかけ離れた力強さで身動きすら出来ないのだ。
幾ら、拓がチビで腕力がないからと言っても、男なのであるから、こんな風に押さえ込まれるなんて、不自然この上ない。
しかも、脱がされかけてる服の裾から入り込んできた手が、素肌に絡みついた瞬間に、拓はビクリッと身体を竦ませてしまった。
「気持ち良くして上げるから・・・」
うっとりと言われたからって・・・そーゆう問題ではないだろう・・・。
第一、男の拓が何故こんな目に合わなくてはならないというのか・・・・
確かに、周りの連中には、何かと拓に対してそーゆう事を強要してくる者たちも何人かはいたりするのだが・・・取り合えず、互いに牽制し合っているようなので、拓に実害はなかったのだが・・・。
「―――やっ・・・止めて下さいっ！！離してっ？！」
産毛を撫でられる感触に、思わず背筋がゾクリときてしまい、拓は思わず千冬を渾身の力で突き飛ばした。
「・・・あっ・・・あーーーっっ？！」
「あっ、気付かれちゃった♪」
振り払うように突き飛ばしたので、拓の上から離れた千冬のガウンの前がはだけてしまったのだが・・・。
真っ赤になって顔を背けようとした拓は、一瞬の違和感に気付いて・・・それを認識した途端に、大きく口を開けて間抜けた声を上げた。
乱れてはだけた千冬の胸元は、どう見ても女性のものではなかった。
陸に上げられた魚のように口をパクパクとしている拓は、悪戯っぽい笑みを浮かべた千冬にまた押さえ込まれてしまう。
「もう、遅いけどね。」
更に、耳許で告げられた囁きに、拓は真っ白状態のまま泣きに入っていた。
＜嘘だぁ！？詐欺だっ！？どうしてボクばっかりこんな目にぃ・・・！？＞
綺麗なお姉さんだと思っていたら、その人はお兄さんだったのだ。
確かに、陣野とか、化粧をする男を知っていたが・・・どっから見ても男に見えない千冬の姿に拓はすっかり騙されてしまっていたのである。
それもそうだろう・・・流れるような絹糸の髪は、肩先を通り越して背中まで届いており・・・化粧を施した顔は、そこらの女性よりもずっと綺麗なのである。
一見しただけなら、モデルにも見られるだろうプロポーションの良さは、スラッと細身で男性に見られる逞しさというものの破片もないのである。
尤も、それは、チビで子供体型の拓に対しても言える事ではあるのだが・・・・
「あっ・・ちょっ・・・やっ！？」
つい、考え込んでしまっていた拓であったが、考えに没頭していられる程、現実は甘くなかった！
アッという間に、また手を動かし始めた千冬の手管に、拓は青冷めた。
「やめ・・・んっ・・・！」
拓の必死の抵抗も、全然苦にならないようで、千冬の侵略を止める事はできなくて・・・。
唯一残っていた抗議を伝えられる唇も、千冬に奪われてしまう。
執拗なキスに、息苦しくなって、首を振って逃れようとするのだが、逆に薄く開いてしまった唇の隙間から、舌がもぐり込んできて・・・拓の動揺は更に高まっていく。
大きく見開かれた瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
理不尽とも言える千冬の行為を、どうする事もできない悔しさに対して・・・。
長く執拗な口付けは、拓の全てを奪おうとしていた。
意識も抵抗も何もかも・・・奪われて。
クラクラとする意識の中で、拓は全身から力が抜けていくような奇妙な感覚に包まれてゆく。
『良いエナジーだ・・・流石、“龍神”の“玉珠”に選ばれるだけの事はある・・・。』
薄れていく意識の中で、拓は千冬の声ではない言葉が聞こえたような気がした。
「―――おや？」
すっかり満足した千冬が、漸く拓の唇を解放した時には、拓の意識は失われていた。
「・・・やりすぎたかな？」
クツリと妖艶な笑みを零すと、千冬はチロッと唇を嘗めた。
想像以上のその“気”の心地よさに、制限なく酔いしれ過ぎてしまったのかもしれない。
この現代には稀とも言える・・・何という“純粋”な魂を持っている事か・・・。
あの、他人と接触するのが煩わしい『龍神』が選んだだけの事はある。
『龍神』の守護に包まれていた拓の姿を初めて見た時から、千冬はずっと欲しくて堪らなかったのだ。
この『存在』―――が。
「連れてっちゃおうかな？」
拓の柔らかな肌に指を這わせて、その滑らかな感触を楽しみながら、千冬はクスクスと笑い続けている。
“負”を背負う全ての者が欲しがる『聖なる』者。
あの夜も、まるで周りの者たちが自然に拓の“存在”を守っているように見えて。
千冬の髪が、思い出された怒りに、小さく震える。
だが、それも一瞬で消え去った。
「・・・ん・・・」
千冬の指を感じて、小さく声を漏らした拓の感度の良さに、気が良くなっていく。
“ほんとう、食べてしまいたいぐらい・・・可愛い☆”
末恐ろしい事を考えながら、千冬は艶やかな“紅”みを帯びた唇をそっと拓の首筋に這わせて・・・小さく噛む。
途端に、ビクリッと拓の身体が震えるが・・・意識を取り戻す事はない。
柔らかな首筋に伝う赤い血を、舌で嘗め取って・・・拓の小さな身体を抱きしめながら、千冬はその血の甘さに陶酔の表情を浮かべた。
そうして、その表情のまま・・・振り返る。
部屋の中・・・不意に訪れた乱入者を見つめるその瞳は、既に“人”のものではなく・・・。
『邪魔をするな・・・』
声ではない言葉で、相手を威嚇していく。
黄金の光りが、凝縮されて・・・それがやがて“人”の形となっていく。
『龍神・・・！』
馬鹿な・・・と千冬は思った。
拓の背後にいたその姿とは、明らかに違う実体を伴ったその“存在感”は、確かにこの世界に“生”を持った者のものだった。
だが・・・『龍神』は消え去った筈だ。
死んで、その想いだけが、拓の“魂”を見守っているものだとばかり思っていたのに・・・。
＜オレの“宝珠”に触れるな・・・＞
稟とした声が、響く。
部屋の中を覆う“気”が、果てし無く膨らんでいく。
それは、間違いなく『異質』の『荒ぶれ神』。
今の状態の千冬では、まだ適う相手ではない。
「チッ・・・」
眉を顰めると、千冬は舌打ちした。
『龍神』が生きていたとは、誤算だったのだ。
拓の背後を守っていたのは、精霊ではなく・・・生霊だったとは・・・・
『龍神』がそこまで想いいれる“宝珠”。
欲しいのは山々だが・・・。
取り合えず、今はまだその時ではないらしい。
凶悪な殺意が、自分に向けられて放たれる前に、千冬はその場所から飛び出した。
開いていた窓から、中空へ―――と。
ここが三階なのも気にせずに、軽やかな動作で地上に降り立つと、一度だけ拓がいる部屋を仰ぎ見てから、踵を返した。
もう少しで、手に入れられた筈だったのに・・・やはり『龍神』の守護は思った以上に強大だったようだ。
歩きだそうとした千冬は、目の前に現れた“存在”に対して、苦笑を浮かべた。
「抜け駆けしたな、テメー・・・。」
その相手は、怒っているように見えた。
だが、千冬は何も言わずに、その横を通り過ぎて・・・自分の単車へと向かう。
路地裏の一目につかない所に、それはあった。
飛び出す時に掴んできた服を着なおしてから・・・バックシートに脱ぎ捨てておいた“特攻服”を纏う。
“曼珠沙華”の千冬のイメージそのものの刺繍を施されたそれは、チームの“イメージ”でもあった。 男でも女でもない者たち・・・。
「“八尋”ォ・・・。」
愛車のハーレーに跨がった千冬が、黙ってついてきた男を振り返る。
訝しげな表情を浮かべた八尋は、そのまま千冬の言葉を待つ。
「『龍神』・・・“生”きてるらしい・・・。」
「なにっ？！」
続けられた言葉に、驚きの声が漏れる。
「じゃあ、ベイブリッチから“昇天”したってぇのは、ガセかよ？」
「・・・違う・・・。」
「千冬・・・？」
「“宝珠”を護る為に、“黄泉”の国から舞い戻ってきたんだろ。」
「へェ・・・そいつは、面白ェや・・・。」
漸く納得した八尋が、ニッと人の悪い笑みを零した。
「それで、諦めんのかヨ？」
「まさか。」
意地悪な口調で、千冬に向かって問いかけると千冬は、艶然と笑った。
「だろうなァ・・・。」
喩え一人でも、湘南からここまでやってきてしまうぐらい千冬も嵌まっているのだ。
あの“存在”−−には。
八尋だとて心を牽かれていると言っても過言ではない。
大きな瞳が印象的で・・・。
できる事なら、自分等のチームのマスコットにしたいぐらいでもある。
綺麗なものも好きだが・・・それと同じぐらい可愛いものも好きな八尋であった。
「ひろォ・・・『龍神』“上等”だよ。次の時は、『拓』は湘南に連れてくから・・・。“聖龍連”のマスコットなら、あれぐらいの『宝珠』じゃなきゃな。」
まるで八尋の心の中が理解ったかのような千冬の台詞に、八尋はクッと笑みを零す。
だからこそ、千冬を手放せないのだ。
この綺麗で我が儘な―――“妖精”を。
「なら、一人で行動すんなヨ。今度抜け駆けしやがったら、喩え、お前が“横浜”の奴等に捕まっても、助けにこねーゾ。」
「捕まる程、間抜けじゃねーよ。」
濃紺タンクの“フォア”の後ろを、ハーレーの“ファットボーイ”で着いていく。
それは、流れるようなラインで、周りの景色が瞬く間に、後ろに流れる。
“横浜”が遠くなっていく。 あの“存在”から離れて・・・。
もう少しだったのに・・・と千冬は唇を噛む。
あれだけ極上の“純粋”を手に入れられれば・・・もっともっと強くなれる気がした。
魔性が憧れ欲しがる・・・“清らか”な魂。
宝石のような瞳は、何処までも汚れる事なく真っ直ぐな程千冬を見つめていたのだ。
＜―――次こそはきっと・・・＞
千冬は固く心に決めていた。
『拓ちゃん・・・』 柔らかな言葉が、響きわたる。
意識を失った拓を抱き締めて・・・『龍神』が微笑を浮かべる。
だからこそ、放って置けないのだ―と苦笑の意味も込めて・・・。
もう少し気付くのが遅かったら、拓は間違いなく連れていかれていただろう。
この“横浜”か、前に居た“横須賀”ならば、動く事もできるが、湘南まで行かれてしまうと、捜す事が困難になってしまうのだ。
尤も、そうならないように、こうしてここまで意識を飛ばしてきたのだが・・・。
自分の影を、その側に置いて・・いつも見守っている。
大切な・・・掛けがえのない―――宝珠。
龍が生涯を掛けて守り抜くべき・・・“愛しい者”。
喩え、何処の誰であろうとも、奪おうとする者は・・・『龍神』の逆燐に触れているようなものなのだ。
怒りを向けられずにはおけない。
しかも、相手は普通の“人”ではないようだ。
拓が、ここまで憔悴しているのも、その極上の“気”を奪われたからに他ならない。
「・・・んっ・・・」
ソッと持ち上げて、その唇を啄みながら、『龍神』は己の“気”を少し分け与えていく。
暫くすると、漸く力が戻った拓が、ゆっくりと覚醒をし始めた。
閉じられていた瞳が、ゆっくりと開いていき・・・二・三度瞬くと、その中に『龍神』の姿を捕らえた。
『龍神』―――天羽時貞・・・を。
大きく開かれた瞳から、見る見る内に涙が盛り上がって零れ落ちた。
「・・・と・・時貞・・くっ・・ん・・・！」
思いっきりしがみついてくる拓の身体を、時貞はゆっくりと抱き締めた。
ここに時貞がいる事の不思議さよりも、時貞の存在を確認できた喜びの方が拓には大きかったのだ。
そっと呟くと、時貞は大切な者を扱うかのようにその涙を唇で拭っていく。
「えっ！？あの・・・ちょっ！？」
目尻にキスの雨を降らされて、漸く拓は正気に返った。
先程までの衝撃の所為で、思考回路がグチャグチャになってしまっていたが・・・よくよく考えると、非常に不味い状態でいる事を思い出したのだ。
しかも、ベットの上で拓の着衣は乱れっぱなしである。
常日頃から、拓の姿を見る度に、散々なアプローチを仕掛けてくる時貞なのである。
貞操の危機を拓が考えたとて、誰も責める事はできないだろう。
しかも、ここには、いつも時貞を止めてくれる拓の幼馴染みのヒロシの姿も・・・拓の事を同じように大事にしているマー坊こと、真里もいないのだ。
「駄目だよ、拓ちゃん・・・。俺、その気になっちゃった♪」
＜ひーーーーっ！？＞
一難去ってまた一難・・・・
拓の不幸は、一体何処まで続いていくのであろうか・・・？
意識がない内に、相手が入れ代わっただけで、切羽詰まった状態なのは一緒だという現実に、目眩がしてきて・・・拓は思わず世を儚んでしまった。
「ネ☆」
起き上がろうとしていた身体を、またトサッとベットに押し戻されて、耳許で呟かれた言葉に、拓はダーッと涙を零す事しかできない。
どうして、こう毎度毎度、絶体絶命の状態から逃れる事ができないのであろうか・・・。
あっと言う間に、学ランがはだけられ・・・中のＴシャツがたくし上げられて・・・その胸元が露になった。
素肌が空気に晒されて、拓はゾクッと身を震わせる。
だが、次の瞬間に胸を撫でられて顔を真っ赤にした。
その胸元に、時貞の唇が降りた時には、拓は身を捩って逃れようとしたのだが・・・固定されてしまった状態では、それを受け止める事しかできない。
「やっ！・・・やめ・・て・・・時貞くっ・・んっ！・・・」
途切れ途切れの声が、気を抜くととんでもない喘ぎになってしまいそうで、拓は思わず唇を噛みしめた。
拓は時貞の事を嫌いではない。
どちらかと言うと好きな方だろう。
だが、それも拓がずっといじめられっこであった為に、友達として認めてくれる者たちを大切にしたいからと思うためであって・・・。
こういう事をしたいと思った事は一度もなかった。
なのに、拓の周りにいる者たちは、いつも拓に対してこういう事を求めてくるのだ。
それが、拓には理解らないので・・・いつも途方にくれてしまう。
だからこそ、“純粋”と言えるのだが。 小刻みに震える拓の身体に、胸元を弄んでいた時貞が気付く。
「拓ちゃん？」
拓の顔を覗き込むと、悲しみを湛えた大きな瞳が真っ直ぐに時貞を見つめている。
途端に、時貞の中で危険な感情が消滅していった。
誰かの者になる前に、自分の所有印をつけてしまいたかったのだが・・・ここまで怯えている拓に対して、そんな事ができる筈もない。
フッと全身の力を抜くと・・・時貞はやれやれと言う風に苦笑した。
拓に対しては、どうしても甘くなってしまう自分を嘲笑するかのように。
すっかり怯えて萎縮してしまっている拓を、そのまま起き上がらせて抱き締めると時貞は、その見た目よりも柔らかな髪を梳いた。
「時貞くん・・・？」
時貞の優しい態度に、やっと全身の力を抜く事ができた拓が、問いかける。
そんな拓に対して、時貞はただ笑みを浮かべただけだった。
無理に自分の想いだけをぶつければ、繊細な“宝珠”は粉々に砕けてしまうかもしれないから。
蘇った今、時間ならいくらでもあるのだ。
ゆっくりとこの『想い』を伝えていく事も。
大切な繋がりの為には必要な事かもしれない。
拓がこの手の中にいる以上・・・不安な事はない。
いつでも、その“存在”を感じていられるのならば。
ただ自分は、護っていれば良いのだから。
湘南はまだ、距離があるからそうそうにはやってこないだろう。
問題は“横須賀”の奴等である。
拓の側に“影”を置いてから気付いた事は、やたらと“横須賀”の奴等にちょっかいを掛けられている事だった。
何よりも驚いたのは、あの緋咲が、拓に対して極限的な“愛”へと変化する可能性を持つ“憎悪”を抱いている事であった。
時貞の知っている緋咲は、何事にもクールに対応して、飽きっぽく本当の自分を見せる事はなかったのだ。
それが、拓に対しては感情を隠しきれないといった感じなのだ。
時貞と同等の孤独な“魂”が、拓を知れば・・・時貞と同じように牽かれる事は容易に考えられた。 それでも・・・もう遅いのだ。
他の者なら譲っても良いが・・・この“宝珠”だけは譲れない。
森羅万象全ての中で、時貞が選んだたった一人の・・・“愛おしい者”。
―――これは、夢かもしれない。
何処までも果てがない“夢”。
・・・だが、悪夢ではなく。
心地よい眠りに微睡みながら、生きていくのも良い。
遙昔から、ずっと探し続けてきた時間が、ここにはあるのだ。
―――それは、誰にも譲れない場所でもあった・・・。
ＥＮＤ． ／ 戻る |