明るい陽光の眩しさに、拓はゆっくりと目を醒ました。
「・・・ぃたぁ・・・っ！！」
ぼんやりとした頭で、見慣れない部屋を眺めて・・・起き上がろうとして、手を付いた途端に、走った激痛に布団に突っ伏す。
痺れるような感覚に、反対の手で触れて、そこに包帯が巻かれていた事に漸く気付く。
そうして、意識を失う前の出来事も全て蘇った。
「・・・ぁ・・・そうか、・・・あのまま・・・」
千冬の身体から鱗が無くなったのを見て、安心した途端に緊張の糸が切れて、情けなくも気絶してしまったのだと知って、ちょっと泣きそうになる。
「はぁ・・・」
気を取り直して、顔を上げると同時に、襖が開かれて・・・入ってきた千冬と視線が合う。
大きく見開かれる瞳に、拓は困ったように笑みを浮かべた。
「―――拓ちゃんっ！」
「あ・・おはよう・・・ございます。あの・・・昨夜は・・・」
持っていた物を放り出して、転がるように近付いた千冬に、拓は赤くなって小さく呟く。
「―――良かったっ！！」
「・・・千冬・・・さん？」
だが、きつく抱き締めた千冬の腕の中で目を丸くする。
その腕が小刻みに震えていたので、また何かあったのだろうかといぶかしむ。
「あの・・・どうかしたんですか？」
千冬はぎゅっと拓を抱き締めたまま、応えない。
困ったように拓が目線を流すと、丁度部屋の中に今度は一総が入ってくる処だった。
千冬と同じように一瞬表情を変えたが、直ぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「お目覚めになられたのですね・・・良かった。」
「―――え？あの・・・僕・・・」
「拓様が気を失われてから、既に３日経っております。昨日までは発熱もあり・・・大分、神経が疲れているとの事で・・・慎様もずっと心配なさっておいででした。」
告げられた言葉に、漸く千冬の態度を理解して、拓は安心させるように身を摺り寄せる。
「あの・・・ご心配かけて・・・ごめんなさい。もう・・・大丈夫ですから・・・ね、千冬さん。」
そっと声を掛けると、赤い目をした千冬が、拓を不安そうに見つめる。
そんな千冬に、拓は笑い掛けた。
それから、困ったように手をお腹に当てる。
「だからなのかな・・・？えっと、・・・僕、お腹が・・・空いちゃって・・・」
言葉と同時に、グゥと拓の腹が鳴る。
真っ赤になった拓は、千冬の肩に顔を隠すように項垂れる。
「―――ご・・・ごめんなさい。」
耳裏まで真っ赤になって恥らう拓に、漸く千冬の不安が消えて、柔らかな笑みが浮かぶ。
「すぐに、食事の用意をさせましょう。慎様もご一緒にお召し上がり下さい。この３日、全く召し上がらないと皆も心配しておるのですから・・・。」
「―――千冬さん？」
「一総さん、余計な事は言わなくて良いです！」
一総の言葉に拓が驚いたように顔を上げると、珍しく感情を顕にした千冬が声を上げた。
「ご飯、食べてないんですか？」
「・・・それは・・・」
「僕の・・・所為で？」
シュンと沈んだように言う拓に、千冬はギッと一総を睨みつけるが、爆弾発言をした男は既に部屋の中から煙の様に消えていた。
ハーッと、千冬は溜め息を溢して、乱れた髪を掻き揚げる。
「このまま、拓ちゃんが目を覚まさなかったらどうしようって・・・そればっかり気にしてたら、全然食欲が湧かなくて・・・。」
「千冬さん・・・。」
「良かった・・・本当に・・・。」
泣きそうな顔で、千冬は何度も拓の髪先に唇を寄せる。
くすぐったくて、拓は小さく肩を竦める。
こんな風に他愛も無い触れ合いが、言葉よりも雄弁に想いを伝えるから。
「千冬さんは？・・・もう、大丈夫ですか？」
小さく聞く拓に、千冬は見惚れそうな笑みを魅せる。
そうして、包帯の巻かれた痛々しい拓の右手をそっと両手で触れた。
「この手から、溢れた清らかな血が、呪われた血を全部清めてくれたよ。血を飲んでって言われた時は、葛藤に蝕まれて・・・自分を見失いそうだったけど・・・。」
そう言って、掌にキスを落とす。
それから、視線を逸らしてそっと目を伏せる。
「聞いたんだろう？俺の呪われた血の事・・・それに、あの姿・・・気味が悪かったろ？」
自嘲気味に呟く千冬に、拓は少しだけ顔を曇らせる。
「そんな・・・！」
「良いんだ。自分でも、ゾッとしたんだから。全身に鱗が生えた人間なんていない。化け物って言われても、反論出来なかったし・・・」
「・・・千冬さんっ！」
絶望に取り込まれたような千冬の表情に、拓は思わず声を上げる。
「違うよっ！！千冬さんは、化け物なんかじゃないからっ！！だって・・・千冬さんが悪いんじゃない・・・千冬さんは何も悪くないのに・・・なのに・・・」
ポロポロと大粒の涙が、拓の瞳から零れ落ちる。
「どうして？・・・僕は、この島の事とか・・・色々な事情とか・・・そんなの知らない。理解りたくもない・・・。でも、千冬さんが・・・可哀想だ・・・」
しゃくりながら、想いを綴る拓に、千冬は胸が締め付けられる。
こんな風に、千冬を想って泣いてくれる相手なんて今までいなかったし・・・一生現れる事もないと思っていた。
なのに、どうして拓がそうなのだろう・・・。
決して自分一人の者にならないのに―――。
「ありがとう・・・拓ちゃん。・・・ありがとう・・・」
零れ落ちる想いのままに、千冬は何度も感謝の言葉を口にした。
腕の中の拓が、哀しい程愛しくて、・・・千冬は静かに哭いた。

一日安静に過ごした、翌日。
拓は千冬と一緒に島を後にして、帰路に着いた。
３泊４日の予定だったのが、一週間になってしまったのと、手に負った怪我の所為で、親には凄く心配を掛けてしまったが・・・無事に帰った拓を、母親は安堵の表情と共に受け入れた。
一緒に戻った千冬が、拓に対して感謝の言葉を告げ、山のようなお土産を手渡したのも、十分役に立ったようだ。
拓に怪我を負わせた事について、土下座で謝ろうとした千冬を、母親はすっかり気に入ってしまい・・・最初の話であった結婚話が解消された事を、一緒に喜んでいた。
そうして、拓がいない間に何度も友達が入れ替わり遊びに来て・・・大変だった事や、千冬と出掛けている事を告げた瞬間に、何処かへ走り去った事などを二人に伝えて・・・。
―――拓は、千冬と顔を見合わせて・・・困ったように笑い合った。

「・・・じゃあ。」
玄関外まで見送った拓に、静かに千冬が笑う。
その笑みが今にも消えてしまいそうなので、拓は無意識の内にその服を掴んでしまう。
「―――拓、ちゃん？」
驚いた千冬が、拓を見つめる。
自分の行動に気付いた拓は、カアーーッと耳まで赤くして・・・俯いた。
「あの・・・その・・・」
口の中でぼそぼそと呟く。
「―――何？」
「・・・楽しかった・・・です。ずっと一緒に居られて・・・その・・・だから、また誘って・・・ほしい・・」
目線を合わせないようにしながら、真っ赤になった顔が消えそうな声でそう告げる。
思いもよらなかった拓からの言葉に、千冬は瞠目して・・・破顔した。
「俺なんかの傍にいたら、大変な目に遇うばかりなのに・・・それでも・・・良いの？」
掠れた声が、千冬の唇から零れ落ちる。
「・・・はい。」
柔らかな微笑が浮かぶ。
そんな拓を見て、千冬は胸が熱くなってしまって・・・目元に涙が浮かぶ。
全身が、喜びに打ち震える。
拓の頬を指先で辿って、その場所にキスする。
「ありがとう・・・拓ちゃん。」
心の底から感謝の言葉を口にする。
甘くて優しい空間が、広がる。
穏やかなそれは、瞬く間に破られてしまうのだが・・・。
遠くから、バイクの音が響く。
それも、一台や二台ではなく。
その音が間違いなく近付いてくるのに気付いて、拓は目を見開く。
「てめー、千冬っっ！！今日こそ、息の根を止めてやるっ！！」
物凄い勢いで走ってくるのは、真里だ。
その後ろから、爆音小僧の皆がついてくる。
千冬の端整な眉が潜められる。
「やっぱり、この街じゃ、直ぐに邪魔が入る・・・。今度は、【湘南（うち）】で遊ぼうね。」
低く口内で呟いてから、拓に向き直ってその唇に軽くキスをして・・・千冬は身を翻した。
硬直したように固まった拓は、真っ赤になったまま声も出ない。
「千冬さん・・・こっちですっ！」
何処に潜んでいたのか理解らないが、真里たちが走ってくる反対の通りに一台のバイクが顕れた。
そのバイクのバックシートに、ヒラリと千冬は飛び乗った。
そのまま、瞬く間に千冬の乗ったバイクは遠ざかっていった。
後に残された拓は、現状をハッと思い出して・・・ダーッと涙を溢す。
物凄い形相で近付いてくる真里たちに、一人で説明しなければならない事に気付いたからだ。
だが、千冬が居ても・・・悪化する事はあっても、助けにはならない事を知っているので・・・拓は困ったように溜め息を吐いた。

見上げた空は、夕焼け小焼け。
―――気付けば、夏休みが１０日終わってしまった・・・高２の夏。
信じられない体験をした拓は、結局、千冬の実家の事は誰にも告げる事無く、自分の胸の奥深くにしまい込んだ。