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好き・嫌い・好き。
「・・・はぁ・・・」 食堂のテーブルに肘を付いて、小さく溜め息を零す。 手に持っているフォークには、今朝の献立のスクランブルエッグが刺さったままで・・・。 食器の中身は全くと言っていいほど減っていなかった。 口に運ぶ気にもなれなくて、諦めてフォークを置く。 食欲が沸かないまま・・・ぼんやりと目線を落とす。 食欲の無い原因は理解っている。 戻ってこないからだ・・・。 あの日からずっと―――。
―――緋咲に会えない・・・から。
学園祭から一週間が経っていた。 拓達のクラスの出し物であったメイド喫茶は、大方の予想通りブッ千切りの一番人気で優勝した。 売り上げも教室内の出し物とは思えない程の繁盛で・・・トトカルチョの賞金共々合わせると、随分利益が出たようだ。 結局、拓は後夜祭に出なかったので、後で言われたのだが・・・クラスの皆で話し合って客寄せの功労者である時貞と拓には多めに還元しようと言う事になったらしい。 学内の購買で使える金券を束で貰った拓は目を丸くした。 親元を離れて暮らす拓にはとても嬉しかった。 ほんの少しだけ、メイド服でも着てよかったかも・・・と思ってしまう程。 まぁ・・・問題は山のように残っているのだが・・・。
靴箱を開けた途端に、中から封筒が滝のように落ちてくる。 「・・・・・・・・・・・・」 無言のまま、拓は固まった。 今まで、時貞の靴箱で見ていた現象が、何故か拓の靴箱にまで感染したのだ。 違うのは・・・天羽のは女の子からの手紙なのに対して、拓に送られるのは男からのものが多いという事。 学園祭後、初めてその現象を目の当たりにした拓は、天国から一気に地獄へと突き落とされた気分だった。 「―――ゴミだと思えば良いんだよ。」 いつの間に来たのか、にっこりと天使のような笑顔で・・・時貞が封筒をまとめて屑篭へと捨てていく。 手馴れた動作で、ついでに自分の分も処理していた。 最初はおろおろとしてしまった拓だったが、確かに毎日のように貰っても返すことも出来なさそうなので、他に方法が無い事を知ったのだ。 気持ちを考えると、可愛そうな気もするのだが・・・如何せん、自分には全くその気がないのに見ず知らずの相手から『友達になってくれ』だの『先輩と呼んで欲しい』など言われても困るだけだったりするし・・・。 「拓ちゃん？」 パンパンと手を叩いてほこりを落としながら、時貞が拓の顔を覗き込む。 突然に視界近くに広がった整った顔に、拓はドキッとする。 真っ直ぐな赤味がかった眼差しが、心の奥底まで見通しそうだったから。 「あ・・・ありがとう・・・時貞くん。そ・・そう言えば、まだ挨拶もしてなかったね。おはよう・・・」 無理に笑みを作って、目線から逃れる。 「・・・おはよう・・・」 ほんの少し、時貞の表情が曇る。 だが、視線を逸らした拓は、気付かなかった。 上履きを履きなおして、昇降口を離れる。 遠巻きに見ている生徒たちの目線を気にしないように、拓は時貞と一緒に教室へと向かった。
３年生の進学組は受験シーズンに突入するので、共通一次へ向けてピリピリする時期なのだが・・・就職組は年内に決まってしまう者が多いのでまだまだ行事への意欲が消えることも無いようだ。 特に、学園祭に参加できなかったスポーツ特待生組は、彼女を作る最期の機会でもあるクリスマスイベントに全力を燃やすと言っても過言ではなかった。 尤も、その前に訪れる期末テストをクリアーしなければ、イベント所ではなかったりするのだが。 兎にも角にも、受験に関係ない１・２年にとっては楽しい行事に間違いなかった。 「ねぇねぇ・・・今年のクリスマスパーティ・・・どうする？」 「天羽くんと踊れたら素敵よね・・・」 「・・・学園祭のホスト姿も凄く決まってたもんね・・・」 「―――今度は、王子様になってほしい・・・」 遠巻きに眺めている女生徒達の会話が、聞こえてくる。 当の時貞は相変わらず、我関せずを決め込んでいるようだ。 一緒に居る拓の方が、何だか居心地が悪くなりそうだった。 「拓ちゃん・・・聞いてる？」 不意に、声が発せられて、拓は慌てて意識を前に戻した。 目の前の机の上には、ノートとシャープペン。 今度こそ、赤点を取らないようにと、時貞が態々教えてくれていたのだが・・・やはり嫌いな英語の勉強なので、身が入らずにいたようだ。 外見に相応しい程、時貞の英語の発音は流暢だった。 聞く所に寄ると、やはり帰国子女だったらしい。 人の家の事情にまで首を突っ込む気のさらさらない拓でも、ずっと一緒にいればそれぐらいは耳に入ってくる。 だからと言って、気にする訳でもないのだが。 ―――問題は、そこではない。 「・・・ごめん。やっぱり僕には異次元の言葉にしか聞こえないよぉ・・・」 余りにも流暢すぎて、上手く聞き取れないのだ。 綺麗な文字が綴られているノートを必死に書き写しながら、拓は心底困ったように頭を抱えた。 「うーーん・・・こんなに何回も教えてもらってるのに、何で頭の中に入らないんだろう。」 自分の頭を叩きながら、唇を噛む。 「無理に詰め込もうとするから、苦手意識の方が先に立っちゃうんだよ。―――同じ言葉なんだから・・・相手に伝えるんだと思えば良いんだ。」 苦笑する時貞は、本当に根気よく教えてくれる。 「・・・言葉・・・」 「うん。自分の気持ちを相手に伝える手段。それは、日本語も英語も同じだろう？例えば・・・」 そこで、一端言葉を途切ると・・・時貞は真面目な顔になった。 「I LOVE YOU・・・」 滑らかな声音で、伝えられた言葉に、ドキッとする。 それはスクリーンの中でクライマックスに告げられるような深い響きだったからだ。 「―――意味、判る？」 口端を持ち上げて、艶然と笑う時貞に、拓はどういう反応を返して良いか理解らなかった。 「え・・・と・・・。うん。『愛してる』・・・て言う時に使うんだよね。」 知らず顔が赤くなってしまう。 男同士で恥ずかしがる事もないのだが、それでも何だか背中がくすぐったくなってしまうのは、言葉の持つ意味を余り体験したことがないから。 「はぁ・・・」 溜め息が零れる。 「何か・・・さらりと言えちゃう時貞くんって、凄いなぁ・・・。ボクなんか、恥ずかしいのが先に来ちゃって・・・口に出せないよ。」 言って、拓は照れたように笑う。 「―――ふぅ・・・」 今度は、時貞の方が溜め息を零した。 何処までも鈍い拓に自分の“想い”を理解らせる事が、どれだけ大変な事なのか―――時貞は思わず天を仰いでしまった。
机の上の明りは、消えていない。 視線をずらすと、今夜も空のベッドが見えた。 あの日・・・飛び出すように部屋を出て行ったまま。 緋咲が帰ってこなくなって１０日が過ぎようとしていた。 何時の間にか、緋咲の鞄と制服が無くなっていたので、拓が居ない間に何度か戻ってきたのかもしれない。 それでも―――。 『・・・嫌われちゃったのかな・・・』 どちらかと言うと、被害者なのは拓の方であって・・・顔を合わせるのも恥ずかしいのだが。 ゆっくりと指で唇を辿る。 あの日・・・触れた感触。 あれは確かに事故ではなかった・・・と思う。 体勢を崩した弾みで触れたと言うには、余りにも無理がある。 事故だったと言い切ってしまう方が、互いに良いと思うのに・・・心の何処かでそれを否定する自分がいるのだ。 嫌じゃなかった・・・。 思ってもみなかった事なので、驚いたけれど―――それでも、嫌ではなかった。 気付けば、深く心に刻んでいた感情。 ―――慕う『想い』。 これが、恋だとか恋愛とは思わないけれど・・・それでも、姿が見えない事が辛い。 一緒に居られない事が―――淋しい。 不意にゾクリと背筋が寒くなって、拓は慌てて毛布を被った。 丸くなって、膝を抱える。 唇を噛んで、ぎゅっと目を閉じる。 そうしなければ、何だか泣けてしまいそうで。 「大丈夫・・・大丈夫だから・・・」 誰に言うでもなく、呟く。 それが、孤独を打ち払うたった一つの呪文でもあるかのように・・・。
裏庭の桜の樹は、すっかり葉も落ちて寒々しい枝を見せるだけだった。 髪を靡かせる風も冷たくなって、ますます寒さを感じさせる。 ここに来れば、もしかしたらと思ったのだが、拓のお目当ての人物はいなかった。 「はぁ・・・」 小さく息を漏らして、枯れた芝生の上に座り込む。 「にゃあ。」 人の気配に気付いたのか、茂みの中から猫が顔を出した。 体育祭の時にはまだ子猫だった猫も大分成長していた。 もう、チビなんて言えない程だ。 「―――おいで。」 拓が呼びかけると、馴れたように近寄ってきて拓の手に擦り寄った。 変わらない柔らかな毛並の感触に、癒される。 優しく頭を撫でながら、拓は困ったように笑った。 「・・・先輩何処に行っちゃったか・・・お前に聞いても分からないよ・・・ね・・・」 気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らしている猫の姿に、切なくなってくる。 気付くとその姿を探している。 こんなに気になってしまうなんて、どうしたら良いのか理解らない。 最後にあった時の出来事が強烈な印象だっただけに、意識から消えないのだ。 どんなつもりなのか・・・知りたくて―――でも、帰ってこない意味を知るのは、怖くて・・・。 最初は怖いだけだった。 出来る事なら、近付きたくもない類の人物だったのに。 何度も何度も助けられて、いつしかぶっきらぼうな中の優しさを知った『相手』。 こんな風に会えなくなるなんて思いもしなかったのに・・・。 「にゃ・・・！」 不意に猫が短い声を上げる。 鼻をひくひくさせると、拓の指を掠めて走り出した。 軽やかな跳躍は、お目当ての人物へと一直線に向かっている。 「あ・・・」 ブワッと強い風が吹いて、髪が浚われる。 大きく見開いた拓の瞳にも、相手の姿が映る。 駆け寄った猫を優しく抱き上げたその姿。 それは、拓がずっと探していたものでもあったから・・・。 風に救われた枯れ葉が、飛び散った。 胸が一杯で、苦しくて・・・目頭が熱くなる。 たった２週間見なかっただけなのに、どうしてこんなにも感情が落ち着かないのか？ ―――自分の事なのに、拓にはどうしても理解できなかった。 手に持っている紙袋には、猫用の餌でも入っているのだろうか。 抱えられた猫が、爪で引っかいてカサカサという乾いた音を立てた。 一瞬、驚いた表情の後で、緋咲は無言のまま視線を逸らす。 途端に、胸が痛くなる。 「・・・あの・・・僕・・・帰りますから・・・」 必死に笑顔を作って、横を緋咲の横を通り過ぎようとした拓は、不意に腕を捕まれて心臓が跳ね上がるかと思った。 「―――悪かった・・・」 ボソリと告げられた言葉に、大きく目を見開いて相手を凝視する。 頬を赤くして、俯きがちに呟くその姿に、とうとう耐え切れなくなった涙が零れた。 同時に、膝の力が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまう。 「・・・おいっ？！」 焦ったような緋咲の声に、漸く拓は全身の緊張を解いた。 「―――よか・・・た・・・」 嫌われてしまったのだと思ったのだ。 だから、そうではないのだと理解って・・・安堵した。 拓の掠れた言葉に、今度は緋咲の表情が困惑したものへと変わる。 「怒ってないのか・・・？」 問われた言葉に、拓は大きく首を横に振る。 「僕の方こそ・・・嫌われたんじゃないかと思って・・・だって、先輩ずっと帰ってこないから・・・だから・・・」 零れ落ちる雫を拳で拭いながら、拓が吐露した途端に、強い力で引き寄せられる。 「どんな顔して戻れば良いのか分からなかった・・・すまん・・・」 思いがけなかった謝罪の言葉に、拓の全身が震える。 「だが・・・嫌われるのは・・・俺の方じゃないのか？・・・いきなり、あんな事しちまったから・・・」 きまり悪そうに呟く緋咲に、拓は今更ながらにキスされた事を思い出して真っ赤になった。 「あ・・・そ・・・そうですよね・・・普通は・・・」 困ったようにモジモジと身体を動かす。 捕まれている腕から、全身に熱が伝わるようで・・・落ち着かない。 もどかしい感覚に、拓はどうして良いのか判らない。 どうしてこんなに、気になるのか？ どうして、キスされた事が嫌じゃなかったのか・・・？ 嫌われてしまったと思った時に胸が痛くてしかたなかったのか・・・。 答えは一つしかないのだけれど―――それを認めてしまうのは、とても勇気がいる事だから。 どうすれば良いのか理解らなくて拓が混乱していると、すぐ傍で小さな溜め息が零れた。 呆れられたのかと危惧した拓が、顔を上げると・・・照れた顔で、緋咲が微笑っていた。 「―――へんな、ヤツ・・・」 あんまりな言われ用なのに・・・拓は釣られて笑ってしまった。 「・・・変・・・ですよね・・・」 照れくさくて・・・でも、何だかくすぐったくて・・・幸せで。 花が綻ぶように微笑った拓に、今度は緋咲が顔を赤くした。 「オマエ・・・なぁ・・・」 掴んでいた拓の腕を離して、口元を押さえて目線を逸らしている緋咲に、拓は不思議そうに首を傾げた。 そんな拓に、緋咲は前髪を掻き揚げて・・・眉を潜めた。 「少しは、手加減しろよ・・・ったく。」 溜め息のように、呟かれた言葉の意味が計り知れなくて・・・拓はますます疑問で一杯になった。 「・・・緋咲先輩・・・？」 「ああもう・・・ガキは気にすんなっ！！」 ガシガシと拓の髪をかき乱すと、そう言って・・・足元に落ちていた紙袋を拾い上げる。 「にゃあ・・・」 中に入っていた餌は、既に猫のお腹の中に入ったようで、手をペロペロと舐めて口元を拭っていた猫が、お礼のように鳴いた。 「―――また、くんな。」 軽く猫の頭を撫でると、緋咲はすっと立ち上がって・・・服に付いた枯葉を払った。 そうして、拓を振り返る。 「おい・・・帰るぞ。」 「―――はいっ！」 告げられた言葉に、拓は慌てて立ち上がって同じように枯葉を落とした。 それは、一緒に居ても良いと言う言葉で・・・拓を安心させる『呪文』。 「何、ニヤニヤしてんだ？」 「え？！ニヤニヤなんてしてません！」 指摘されてしまって、ドキドキしながら拓は必死に否定した。 それでも・・・ここに来るまでの・・・緋咲に出会って話す前の事を考えると、どんなに自分が不安定だったのか、今なら理解る気がした。 そうして、今はこんなにも落ち着けた事が、本当に嬉しくて顔が弛んでしまうのだ。 「・・・いたっ・・・何・・・するんですか・・・」 ムニッと緋咲に頬を摘まれて、拓は痛む頬を擦って抗議する。 「―――何となく・・・だ。一緒に居るんなら、へらへらするな。」 いつもの表情に戻った緋咲が、少し怖い顔で言うので・・・拓も気持ちを引き締める。 それでも、その身を覆う気が優しい気がするのは、不思議な感じだった。 歩き出した緋咲の後ろを付いていく。 緋咲が向かっているのは、寮の方角だ。 前を歩く緋咲に気付かれないように、拓は小さく―――『微笑』った。
―――今夜は、やっと安心して眠れそうな気が・・・した。
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