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そしてボクは途方に暮れる。
それは、体育祭が終わって数日後の事だった。
「え？！転勤？！」
自宅にて突然父親から告げられた言葉に、拓は愕然とした。
６月のこんな中途半端な時期に人事異動があるなんて珍しいんだが・・・と告げながらも、それが逃れられない事である事を告げられる。
「―――何処へ？！」
「それがなぁ・・・海外で、サンフランシスコ支社なんだ。行ってしまえば、何時戻れるのかは分からんが・・・やっぱり単身で行くか？」
少し淋しそうに口にする父親に、母親は驚いた顔をしながらも何かを決心したようだった。
「いいえ！私も行きます。お父さん一人を異国の地に行かせるなんて可哀想ですもの。」
ヒシッと抱き合う両親の、何時までも仲が良い光景に中てられながら、拓はゴクリと唾を飲み込んだ。
「え・・・っと・・・ボクは？」
突きつけられた現実に、眩暈が起きそうである。
自慢ではないが、勿論英語は話せない。
高校には何とか滑り込みで入れた程度だと言うのに、いきなり海外生活というのは・・・。
―――どうしよう・・・と拓が青褪めていると、抱き合っていた両親が漸く離れた。
「拓。お前はどうする？」
父親の言葉に、泣きそうになる。
「出来る事なら、高校までは日本で過ごさせてあげたかったんだが・・・父さんの仕事の所為ですまないな。」
父親の仕事は研究所の所員だ。
昔のアルバムなどを見ても、色々な諸外国を回っていた事が理解る。
たまたま日本で拓が生まれたので、そのまま会社に頼んで定住していたらしいが、元々は海外が基点の研究らしいのだ。
「でもねぇ・・・この子を一人で残すのも心配だし・・・。あら？そう言えば、拓の行っている高校って確か寮があったんじゃないかしら？」
突然思い出したように母親が声を出す。
「そう言えば・・・。」
拓も記憶を必死に手繰り寄せて、入学者用パンフレットの中身を思い出した。
クラスの中でも何人かは寮生活をしている話を聞いた気もする。
「―――だがなぁ・・・。」
父親は余り乗り気ではないようだ。
だが母親は自分の提案が凄く良いものであるかのように言葉を続けていく。
「確かに一人で残して行くのは心配ですけど・・・拓だってもう子供ではないんですし。高校ぐらいはちゃんと卒業させてあげたいじゃないですか。卒業までの間に、私達と一緒に海外で暮らすか日本で職を見つけるか、大学に進む事を決めてもらうんです。」
笑顔できっぱりと言う母親は、一度こうと決めたら潔い。
父親でさえ抵抗できないのだから、息子である拓が反論出来る筈も無い。
―――こうして、拓の寮行きは呆気なく決定したのであった。
「はぁ・・・」
深い溜め息が零れ落ちる。
７月最初の日曜日。
手には母親が用意してくれたボストンバック。
足元には心配した父親が用意してくれた生活必需品の入ったサバイバルキッドが置いてある。
目の前には古びた洋館を思い起こすような立派な建物が建っていて・・・。
看板には神奈川学園『ヨコスカ』寮と書かれていた。
地域別に立てられた寮は基本的にその地区の出身者が入っている事が多い。
横浜に家がある拓は本当なら『ヨコハマ』寮に入る筈なのだが、如何せん中途の入寮の為に、空きがあったのがここしか無かったのだ。
地元でも見かけないであろう者たちの中に、今日から入って暮らす事を考えたら、気が重くなる一方な拓だった。
それでも、何時までも途方に暮れている訳にもいかなくて、拓はギュッと荷物を持ち直すと、恐る恐る足を踏み入れた。
キイッと音がして、鉄の柵が開く。
白を基調にした洋館は、横浜の山手に昔からあるような建物と同じ感じだった。
大分古びた感じではあったが・・・。
「・・・？・・・」
ふと視線を感じて、拓は足を止める。
視線を流して、初めて人が立っていた事に気付いて飛び上がりそうな程、驚いた。
忽然と現れた―――そんな感じだった。
「―――何か用か？」
「・・・あ・・・あの・・・」
突然の事に、上手く言葉が出ない。
ボソリと聞かれて、拓がどう答えようかと焦っている間に、相手は拓の姿を見て思い立ったらしい。
「ここに入るのか？―――こんな半端な時期に・・・。」
ブツブツ呟きながら、相手は拓の側まで近付いてきた。
徽章がブルーな所を見ると、上級生である事が伺えた。
「は・・・はい。親が突然転勤する事になったので・・・。」
困ったように拓は声を出した。
スラリとして身長が高い相手は、近距離だと見上げるようにしなければ会話もできない。
１９０センチ近くはあるのではないだろうか？
チビの拓には羨ましい程だった。
「―――名は？」
「あ・・・浅川拓。一年です。」
そう告げて頭を下げる。
「俺は、２年の一色だ。まぁ・・・他の寮の奴等に絡まれないように気を付けるんだな。」
そう言うと、一色と言った先輩は流れるような動作で身を翻した。
まるで、つかみ所の無い雲のような雰囲気に、拓はその姿が見えなくなるまでその場を動けなかった。
視界からその後ろ姿が完全に消えた瞬間に、緊張の糸が切れてホッと息を吐いた。
恐い雰囲気は微塵も感じられなかったけれど、底知れないオーラを身に纏っているような感じがした。
それに・・・。
最後に告げられた言葉が、拓の前途を暗示しているようで更に気が重くなってしまった事は言うまでも無い。
―――帰りたい・・・。
心底、想う。
それでも、成田で両親を見送った後では、家に戻っても一人きりなのだ。
新婚旅行を思い出すわ・・・と言っていた母親の言葉は、何時まで経っても新婚時代のような仲の良い両親なので今更だと拓は思ったものだったが・・・。
「・・・はぁ・・・。」
またしても深い溜め息が拓の口元から零れ落ちた。
一時間後、決められた部屋にドキドキしながら行くと、同室の相手は留守だった。
最初が肝心だと、何度も心の中で挨拶の言葉を繰り返して練習したのが無駄になって、拓は一気に気が抜けてしまった。
空いている方のベットに側に荷物を置くと、そのままベットに腰掛ける。
柔らかな布団は思っていたよりもふかふかで、寝心地は悪くなさそうだ。
ごろりと横になると、途端に今日の疲れがどっと襲ってきて、瞼が重くなってくる。
荷物を片付けなきゃ・・・と薄れていく意識の中で思い出したが、睡魔の方が強かったようだ。
すっかり閉じてしまった瞼が開く事は無く、拓の意識は夢の中に吸い込まれていってしまった。
カタン・・・。
小さな物音に拓は意識を取り戻した。
部屋の中は真っ暗で、あのまま寝てしまったのだと言う事に漸く気付く。
物音は、窓からだった。
薄暗い闇の中で、何かが窓辺で動いているのが理解る。
『―――ひっ！！』
余りの驚きに、声を上げようとしたが音にならない。
部屋の中に入ってきた侵入者に、気付かれないようにベットの上を移動しようと身じろいだ途端にギシッとベットのスプリングが鳴ってしまう。
「・・・誰だ？！」
驚いたような声と、机の上のライトが点いたのは同時だった。
半泣きになっていた拓は眩しいライトの光にギュッと目を瞑ってしまう。
「―――オマエ・・・？」
喉の奥から搾り出されたような声に、拓は弾かれたように顔を上げた。
そして視線の先に居た人物に、唖然と口を開けた状態で固まってしまった。
まるで時が止まったかのような空間が出来上がる。
先に動いたのは、相手の方だった。
ゆっくりと拓のベットに近付いてくる。
ビクッと拓が怯えたのを確認して、足が止まる。
「・・・本物・・・か？何で・・・ここにいやがる・・・」
訳が理解らないという風に呟く緋咲に、拓は漸く同室の相手が彼なのだという事を理解した。
同時に、余りの展開に眩暈を起こしかけたが・・・。
「・・・い・・・いたた・・・」
ギュッと頬を抓られて、痛みに顔を歪める拓を見て、緋咲は口端を持ち上げた。
「夢じゃねえな。」
「―――あの・・・普通は自分のを抓るんじゃ・・・」
涙を浮かべながらひりひりする頬を擦って、拓は恨めしそうにそう呟いた。
「・・・で？」
拓の荷物に腰掛けながらわざわざ尋ねる緋咲に、拓は小さく溜め息を吐く。
こういう所が、意地悪だな―――と、ちょっとだけ思う。
「あ・・・えと・・・その・・・。今日から同室になる浅川です。どうぞ宜しくお願いします。」
ずっとここに来るまで考えていた言葉を、ゆっくりと口にする。
「おまえ・・・ハマに住んでるんじゃないのか？」
「え？はい・・でも、空きがここしかないそうで・・・」
「あぁ？―――ンな話聞いた事ねーゾ。」
途端に眉を吊り上げる緋咲に、拓は途方に暮れる。
嫌なのかな・・・と不安になったのだ。
元々群れるのを好まないらしいので、拓が同室になるのを怒っているのか―――と。
「あの・・・嫌ですか？」
「あ・・・？」
「ボクが同室で嫌なら・・・寮の監督の先生にお願いして他の部屋を探して貰いますから・・・今夜だけベットを貸して下さい。」
泣きそうにそう言うと、緋咲はバツが悪そうな顔をする。
「誰もンな事言ってねェ。」
ムッとしたようにそう言うと、緋咲はライトを消してさっさと隣のベットに入ってしまう。
布団を被ってしまった緋咲の態度に、拓は困ったように俯いてしまう。
色々な事が頭の中を駆け巡るが、上手く自分の気持ちを言い表す言葉が見つからない。
不意に全てのものから取り残されたような不安が襲ってきて、目頭が熱くなる。
泣いちゃ駄目だと思いながらも、零れ落ちる涙を止められなくて・・・。
膝を抱えて嗚咽を耐えながら、拓は持て余し気味の感情をどうする事も出来なかった。
どうしてこんなに悲しいのか・・・。
どうしてこんなに苦しいのか・・・？
嫌われたかもしれない・・・そう思っただけで、胸が痛くなるのはどうしてなのだろう？
ずっと不安だった。
―――寮生活と言う不安。
―――誰が同室になるのかという不安。
―――一緒にやっていけるのかという不安。
緋咲が同室だと知った時は驚いたが、同時に拓は安心もしていたのだ。
・・・しかも凄く嬉しかった。
少しでも知っている人物だったから。
拓が何かと世話になっている緋咲だったから・・・。
だから・・・。
それが、迷惑に感じられるなんて思っても居なかった―――。
クシャッと髪を触られて、顔を上げる。
「・・・何、泣いてやがる。」
その言葉に、慌てて袖で涙を拭う。
これ以上嫌われたくなくて。
「―――あ、これは・・・その・・・。」
「早くもホームシックかよ・・・？」
言われてグッと唇を噛み締める。
そうでもしなければ、急に膨れ上がった不安に心が押し潰されそうだった。
「ちが・・・っ・・・」
反論しようとして、声が詰まる。
今までずっと両親の庇護の下で生活してきたのだ。
一日だって顔を見なかった事は無い。
その両親とこれから離れて生活しなければならない喪失感に、拓は漸く気付いてゾクリと身を震わせた。
覚えの無い涙が盛り上がる。
「ずっと、ここにいるのか？」
問い掛けは静かなものだ。
それが、卒業までの事を示しているのだと理解って、拓は声も無く頷いた。
もう、帰る場所は無いのだ。
喩え家が残っていたとしても、両親がいないのであればそこはただの空間でしかないから・・・。
小さな嘆息が聞こえた。
「仕方ねーから、ここに居ても良いぞ。」
「―――？」
続けられた言葉に、耳を疑ってしまう。
「聞こえなかったのかよ？」
苛立ったような口調に、慌てて首を横に振る。
「・・・でも・・・」
迷惑なんじゃ・・・と告げようとした唇が戦慄く。
「―――特別だぞ。」
決定打のように言い切る緋咲の言葉に、拓は感情を爆発させた。
ギュッと緋咲に飛びついた。
「―――ウワッ！」
体勢を崩した緋咲だったが、辛うじて拓を支えたまま踏み止まった。
「・・・あ・・・ありがとう・・・ござい・・・ま・・・す・・・」
嬉し涙を隠す事もなく、拓は掠れた声で漸く言葉を搾り出した。
「―――随分、泣き虫だな・・・テメェは・・・」
ムッとしたように言いながらも、緋咲が拓を突き放す事はしなかった。
それが、緋咲の精一杯の不器用な思いやりなのだと理解して、拓は心の底からこの人で良かった―――と、運命に感謝した。
初めて会った時は凄く怖くて、とんでもない人だと思った。
もう二度と会いたくないとまで願った程だ。
それなのに―――。
体育祭の準備の最中に、優しいトコもあるのだと知った。
更に、拓が上級生に絡まれて危機一髪だった時も助けてくれた。
普段は人を寄せ付けないオーラを身に纏っている癖に・・・人付き合いを嫌う癖に・・・それでも拓を邪険にしないで側にいても良いのだと言ってくれる。
その度に、拓の感情は振り回されっぱなしなのだけど・・・。
それでも構わない―――と思った。
この人なら、信じられる。
側にいても萎縮する事無く、自然体でいられる。
だから・・・側にいられる事が理解って、凄く嬉しかった。
その瞬間・・・抱え切れない程あった拓の不安は、呆気無いほどの勢いで消滅していた―――。
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