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真夏への扉
憂鬱な期末試験が終われば、後は楽しい夏休みが待っている。
「―――終わったぁ！！」
最後の科目の終了チャイムが鳴ったと同時に、拓は力尽きて机に突っ伏した。
後ろの席の時貞は、何事も無かったかのようにシャープペンを片付けている。
「天羽くん・・・問６の答えって１で合ってる？」
「問３の数式ってこれで良かったっけ？」
終わった途端に、答え合わせをしたい連中が周りを囲んで質問責めをしていた。
まるで、答えるのが当然だとでも言うように・・・。
尤も、その期待を裏切る事無く答えるのだから・・・本当に天は時貞に才能を山ほど与えたのかもしれない。
―――全く持って羨ましい限りである。
試験があれば、結果も付いてくる―――と言う訳で、翌日には成績発表が行われるのだ。
自分の成績が学年でどれ位なのかは、誰でも気になるもので・・・。
中間よりは頑張ったのだから、少しは上がって欲しいと考えるのも仕方のない事だ。
＜どーか・・・追試は免れますように・・・！！＞
心の中で必死で拝む。
平均点以下の生徒には、夏休み中に＜魔＞の補習授業が待っているのだ。
基本的に個人の努力を促す為の形式的な物であるにしても、貴重な休みを態々勉強に費やすもの勿体無い気がした。
それに、拓にはささやかな願いがあったのだ。
長い休みだからこそ、少しの間だけでも両親と会う事が出来るのではないか―――と。
＜神様・・・仏様・・・どっちでも良いからお願いっっ！！＞
強くお願いしてそーっと目を開けた拓は、次の瞬間がっくりと肩を落とした。
どっちでも良いからと思ったのがいけなかったのか？
それとも本当は神様も仏様もいないのだろうか？
思わず涙まで出そうになってしまった。
「・・・拓ちゃん？」
気付いた時貞の声に、ポタポタと涙が零れた。
「―――あんなに頑張ったのに・・・。ボク・・・この学校に合わないのかなぁ・・・」
ふぇええぇ・・・と情けない声を上げる拓の名前は補習メンバーの中に書かれていた。
つまりは平均点以下と言う訳で・・・。
「頑張って、夏休みは父さんと母さんに会いに行こうと思ってたのに・・・」
グズッと言う拓を慰めるよう、時貞は肩を支えてくれた。
「―――分かんないトコ合ったのなら、俺に聞いてくれれば良かったのに・・・。」
優しく言う時貞の言葉が、単なる気休めでない事は拓だって良く知っている。
ついでに言うならば、時貞の名前が何処に書いてあるのかさえ、見なくても理解っているのだ。
成績表の一番上、ＴＯＰに書かれているのは間違いないだろう。
主席で入学した時貞は、新入生代表として挨拶したらしいし・・・中間テストの時も一番だったのだ。
頭の造りが違うだろう者に、幾ら慰められた所で、慰められる訳も無く・・・。
「うん・・・でも、今は一人にして・・・。」
却って惨めな気がして、拓は力なく首を振ってその場を後にした。
ずっと思い描いていた楽しい夏休みの予定が真っ黒く塗り潰されてしまったようで、拓は酷く滅入っていた。
人気の無い場所で、膝を抱えて落ち込んでいると、不意に誰かが側に立った気配がした。
泣いていた顔を見られるのも恥ずかしいので、そのままジッとしていても、相手が立ち去る気配は無い。
「ねぇ？どうしたの？」
高いトーンの響きに、拓はそれが初めて聞く声だと理解って思わず顔を上げてしまった。
「泣いてたの？目が赤いよ？」
細いラインの少年が、拓の目の前に立っていた。
拓も人の事を言えた体格をしている訳ではないが、少女のような細さを持った少年は透明な笑みを浮かべていた。
天使が微笑うときっとこんな顔になるかもしれない―――そう、拓は思った。
「あ・・・」
綺麗な顔で見つめられて、拓は思わず真っ赤になってしまう。
泣いていた理由が、テストの成績が悪かったからなんて言える筈も無くて。
「―――こんな場所で一人で泣かなきゃいけない程、辛い事？」
更に問い掛けられて、拓はますます真っ赤になってしまう。
「え？あの・・・その・・・そんなんじゃなくて・・・自己嫌悪というか・・・」
しどろもどろに答えようとする拓を見て、クスッと微笑うと、美少年は拓の隣に腰掛けた。
その徽章がブルーだと気付いて、拓は更に驚く。
＜―――と・・・年上なんだ・・・＞
それにしても何時も何時も上級生に目を付けられるらしい。
「キミ、浅川くんでしょ？」
名乗ってもいないのに初対面の相手に言われて、拓はビクッと身体を震わせる。
「あぁ。怯えないで。別にどうこうするって訳じゃないから。それより・・・何で、生徒会の連中がキミを付け回すのか理解ってる？」
そんな事を言われても覚えがない拓には返答の仕様も無い。
だからただ力なく首を横に振るだけだ。
「・・・分かんないよ・・・どうして？ボクは個人的に会った事も無いし、生徒会のメンバーが誰なのかも知らないのに・・・」
自分の行っている学校で、生徒会長の顔も知らないというのはマズイとは思うのだが、マンモス校の講堂で実際に生徒会長を拝める機会など数えるほどしかない。
入学式には在校生の挨拶として壇上に立ったらしいが、拓はその入学式を遅刻してしまった為に、端で声を聞いていただけなのだ。
体育祭の時は、それぞれの団長がメインで開催された式典なので、生徒会長がマイクを通して指示をする事は一度も無かったのだった。
会長の名前は知っている。
三年の鰐淵春樹という人物だ。
一年の秋の生徒会選挙で圧倒的人気で当選してから二年間も不動の位置にいるらしいが、今年初めてこの学校に入った拓が、そんな人物と接点がある筈も無い。
「ふーーーん・・・。でも、セロニアスと仲良いんだろ？」
「え？時貞くん？だって・・・」
「―――アイツ、オレ等と一緒だったのに、高校入学を態々一年遅らせたんだ。理由は誰も知らない。中学の時も凄く目立つ奴だったから、何かと話題になってて・・・。いつもつるんでた緋咲って奴と一緒に特待生扱いだったくせに。」
笑顔に似合わない言葉使いのギャップが気になって、拓は相手をマジマジと見てしまった。
「・・・知らなかった？」
「え？あ・・・うん。」
「そっか。キミにもアイツ何も言わないのか・・・。じゃあ、寮の同室が緋咲になったのも、偶然だったんだ。」
次々と告げられる言葉に、拓は思考が追いついていかない。
理解不能な言葉を並べられているようで・・・。
「体育祭の時、緋咲が助けたって言うから・・・何かあるのかなって思ってたんだけど・・・。」
徐々に相手の声が低くなっていく。
笑っている筈なのに、その目が笑っていない事に気付いて、拓が立ち上がろうとした途端、物凄い力で後ろから腕を掴まれた。
「随分、優しく話してたじゃねーか・・・来栖。」
「別に・・・。暴力に訴えるだけが情報を引き出す手段じゃないしね。」
来栖と呼ばれた少年は、もう天使の笑顔を消していた。
その下に現れた、ゾクリとするような笑みに、拓は鉛を飲み込んだような嫌な感じを受けた。
「それで、収穫はあったのかよ？」
「いや。結局、何も知らないらしいよ。それより、鰐淵は戻って来ているのか？」
「まだだ。早くても夕方になるってよ。」
腕を捕まれた状態で交わされる会話の内容から、二人が問題の生徒会に係わっている事が伺えた。
「あ・・・貴方たちは一体・・・？」
怯えたように言う拓に向かって、天使ではなくなった少年はそれでも綺麗に笑った。
「オレは副会長の来栖奈緒美だよ。浅川くん。悪いんだけど、キミを拘束させてもらうよ。理由はそうだなぁ・・・体調不良の為といういうのはどうかな？」
「好きにしろ。暫く時間を稼げれば良いんだからな。」
続けられた内容に、冗談じゃないと逃げようとした拓は、掴まれていた腕をねじ上げられて悲鳴を上げた。
「手荒な真似は駄目だよ、八尋。あくまでも会長のお客様なんだから。」
「―――何で、こいつなんだ？」
全く興味がないという風に告げる相手に、来栖はクスクスと微笑う。
「・・・君の幼馴染の千冬もお気に入りのようだよ。」
「あれの性癖は昔から変ってるんだ。」
吐き出すように言う相手に、拓は愕然とする。
綺麗で優しい保健委員の先輩までも彼等の仲間なのかと思ったら涙が出そうだった。
「―――そうだよ。お気に入りなんだ。だから、八尋でも渡せないよ。」
艶めいた声が、いきなり振ってくる。
途端に、長い髪を靡かせて、千冬がその場に現れた。
「千冬？」
「―――オマエ、俺の邪魔をするのか？」
掴まれていた腕の力が抜けたのを見計らって束縛から抜け出した拓を庇うように、千冬は真ん中に立った。
「駄目だよ・・・ヒロ。何を考えてんのか知らないけど・・・『龍神』に拘わるんなら直接対決すれば良いだろ。この子を巻き込んじゃ駄目だ。」
言い切る千冬に、来栖の表情がみるみる内に崩れる。
「生徒会に逆らう気か？オマエもブラックリストに載るぞ。」
「・・・分かってもらえないか・・・。」
ハァ・・・と嘆息を溢すと、千冬は懐に手を入れて何かを取り出した。
「悪いけど、キヨミさんにも直々に頼まれててね。来栖も、彼女を敵に回したくないだろ？」
そう告げると、取り出した丸い物に付いていたピンを外して、二人に向かって投げ付けた。
ボンッ！！
途端に爆発音がしたと同時に、煙が辺りに充満した。
「・・・ッッ！！」
驚いた拓の身体が、不意に持ち上がる。
＜・・・え・・・・？えええええええええぇぇぇぇぇ？！＞
拓を抱えあげたまま、千冬は何処にそんな力が隠されているのか分からない程の素早さで、その場を後にしたのだった。
「ここまでくれば・・・」
呟きと共に下ろされて、慌ててしがみついてしまう。
力の入らない身体は、自分で立つ事すら出来なかった。
呆然とした状態で、拓はヘナヘナとその場に座り込んだ。
「・・・ごめんね・・・驚いただろ？」
優しい声に、拓は慌てて意識を繋ぎ止めて千冬を凝視した。
その声と同様に、表情も悲しげだ。
紛れも無くそれは本物の感情に見えた。
作り物の顔ではなく、嘘を付いているようには見えなかった。
「あ・・・いえ・・・その・・・。」
問いたい事は山のようにあったのだが、麻痺してしまった思考回路では言葉を探す事も出来ない。
「これだけは、忘れないで。―――オレは、拓ちゃんの味方だよ。」
そう告げると、千冬は髪を靡かせて立ち去っていった。
呆然とへたり込んでいた拓は、その後で拓の姿が見えなくて探しに来た時貞に発見されるまでその場から動く事が出来なかった。
―――夏休みまで後５日。
本気で海外へ逃亡したくなった拓だった・・・。
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