|
キャンデイ・ナイト
煌びやかなネオンナイト。
豪華に飾られた巨大なクリスマスツリーが、壇上中央に飾られた体育館は、すっかりとクリスマスのパーティ会場へと作りかえられていた。
期末テストを終えた直後から、クリスマス・パーティ用の運営委員会が結成され、あっという間に支度をしてしまったのだ。
この辺りは、お祭り大好きなこの学園に集う学生達の力量が物を言った。
尤も、裏で最終的な指示を出し、取り扱っていたのは間違いなく生徒会なのだが・・・。
本来は２５日の終業式の後なので、イブというよりもクリスマス当日のパーティなのだが、明日が土曜で休みに入るので、今年は２４日の夜に開催されていた。
また、終業式の後のイベントと言う事もあり、パーティは制服ではなく、皆思い思いの私服で集っても良い事になっている。
目一杯お洒落をした生徒たちで、溢れかえった会場は彼女や彼氏をゲットしようとする生徒たちの駆け引きの場でもあった。
学校側も、少しぐらい羽目を外しても大目に見ているようだ。
勿論、学校でやる以上、アルコール類は禁止となっているが・・・。
それでも、食堂のおばちゃんからの差し入れや、ジュース類などはちゃんと用意されていた。
椅子に座って談笑する者・・・ツリーの傍で仲良く寄り添っている者達など・・・様々な様子が見てとれた。
誰もが楽しそうな様子で、このクリスマスを祝っている・・・そんな雰囲気が漂っていた。
―――たった、一人を除いて。
「・・・はぁ・・・」
小さな溜め息が漏れる。
初めてのクリスマス・パーティという事もあって、ずっと楽しみにしていたにも係わらず、拓は一人、会場の片隅でただ一人暗く落ち込んでいた。
いつもなら、傍にべったりとくっついている時貞は、綺麗に着飾ったドレス姿の上級生のお姉さんたちに連れ去られたままだ。
それはそれで、別にずっと一緒にいられるより気が楽だから構わないのだが・・・。
拓が落ち込んでいる理由は、別な所にあった。
ふと、目の前を通り過ぎていく女子生徒の紫のリボンの端に気を取られて、ドキンと胸が高鳴る。
―――そうして、一瞬の後にそこが痛くなるのだ。
どうしてなのだろう―――と、思う。
気にし過ぎなのだとも。
自分に言い聞かせるように、口中で呟いても・・・消えない残像。
―――消えない、『痛み』。
見てしまった情景が、拓の胸に言いようの無い『痛み』を思い起こさせた。
ギュッと胸を掴む。
涙が出そうになるのを、漸く堪えて・・・拓は頭を振った。
ザワザワと騒がしい会場内で、とても楽しむ余裕もなく・・・拓はゆっくりと外に歩き出した。
「―――さむ・・・」
人込みで暖かくなっていた体育館から出ると、外はどんよりとしていて、今にも雨が降りそうな天気だった。
思わず漏れた声は、口許から零れた途端に白い吐息になる。
コートを着てくれば良かったかも・・・とそんな事を思いながら、歩き続ける。
ゆっくりと、足が向かうのは―――いつもの場所。
こんな日に、あの人がいない事は誰よりも知っているのに、それでも歩みは止まらない。
とぼとぼと歩いて、漸く目的の場所へと辿り着く。
人気の無い裏庭は、いっそう寒々しい光景で拓を迎え入れた。
冷たい桜の樹に手を当てて、拓は崩れるように膝を付いた。
「・・・っ・・・」
溢れる想いが止まらない。
どうして、こんなに不安なのだろう？
どうして、こんな風に胸が痛くて仕方がないのか・・・。
気付けば、知らずその姿を探している。
人込みの中で・・・景色の中で・・・。
寮の同室と言うだけで、他に詳しくは何も知らない相手の事を。
何時の間にか、こんなにも深く―――心に染み込んだ『相手』。
突然、目撃してしまった光景は、拓の意識を凍らせた。
その瞬間、足元が崩れ落ちるような衝撃に見舞われたのだ。
いつもの溜まり場で、横たわっていた緋咲は、一人では無かった。
拓の知らない誰かが、そこに居て・・・。
安心したように眠り続ける緋咲の姿と、重なるシルエット。
そこには誰も入れないような空気があって・・・。
拓に気付いた人物の―――勝ち誇ったような、挑むような眼差しが拓の心を突き刺した。
そうして、拓は逃げ出したのだ。
その場所から。
震える足で・・・それでも、振り向かずに・・・。
怖くて・・・ただ、怖くて。
―――見透かされたような気がしたから。
自分の“気持ち”を。
自分の『想い』―――を。
あの瞬間、確かに拓はその人物に嫉妬したのだ。
何も知らない。
ただ、寮の同じ部屋の住人で。
この裏庭で時々会って。
会話して。
食事して。
先輩・後輩の仲で。
―――ただ、それだけ。
それだけの、関係。
ずっと、ずっと・・・そう想っていた。
それでも、いつも不安な時に助けてくれる―――不思議な『相手』。
魅かれないと言ったら、嘘になるから。
同性なのに好きになるなんてありえないと思ってた。
自分に無いものを沢山持っている相手への、純粋な憧れだと。
それでも、学園祭の時に不意にキスされて・・・。
それが嫌じゃなかった自分に気付いて。
嫌われたんじゃないかと、落ち込んで。
漸く仲直りして・・・安堵して。
―――振り回されっぱなしな気がするけど・・・意識から離れなくて。
「―――はぁ・・・。」
真っ赤になってしまった鼻を啜って、拓は桜の樹から顔を上げる。
「―――大丈夫・・・もう、大丈夫・・・」
それは、口癖にもなっている呪文。
言葉にすると、胸の痛みが薄らいでいく。
自分に自信が無い拓は、いつもそうやって悲しみを打ち消すのだ。
いつまでも落ち込んでいても、仕方ないから。
胸の痛みが完全に消える事はないけれど・・・。
泣くだけ泣いて―――少しだけ楽になれた気がした。
パーティ会場に戻るのも気が引けた拓だったが・・・時貞に黙ったまま帰ってしまう訳にもいかないので、一言だけでも声を掛けようと体育館へと戻った拓は、入り口付近で捕まってしまった。
「拓ちゃん、見っけ！！」
明るい声で、声を掛けてきたのは、真里だった。
「・・・拓ちゃん？」
傍に居た千冬が、気付いて近付いてくる。
「・・・こんにちは。真里先輩。千冬先輩・・・」
「―――何か、あった？」
目敏い千冬が、目を細めながら問い掛けてきた言葉に、拓はドキッとしてしまう。
「え？どうして・・・？」
「・・・目元・・・赤い。―――それに、こんなに冷えて・・・おいで！」
そっと触れてきた千冬が、その冷たさに気付いた途端、血相を変えて拓の腕を掴む。
「え？」
突然の千冬の行動に、拓はうろたえながら引かれるままについて行くしか出来ない。
「おい、千冬！何処行くんだよ？！」
慌てて、真里もくっついて来た。
千冬が無言で拓を連れてきたのは、会場内のワゴンの側だった。
近くの椅子に拓を座らせると、ワゴンの中から暖かな湯気を立てていたケトルを取って、カップに注いでいく。
「はい。」
渡されたカップの中身は、ホットミルクだった。
突然に血相を変えて連れてこられた場所だから、何事かと緊張していた拓は一気に脱力した。
でも、その気遣いが何より嬉しくて・・・。
「―――ありがとう・・・ございます・・・」
ちょっと震える声で、拓は微笑った。
手に伝わる温もりが、そのまま千冬の優しさだと気付いて・・・涙が出そうな程嬉しかった。
「拓ちゃん・・・拓ちゃん！お腹は？美味しいお菓子も一杯あるよっ！」
ワゴンの中から、籠ごとお菓子を取り出した真里も、千冬に負けじと拓に声を掛ける。
そんな風に、何もかも判っていて・・・それでも何も聞かずに相手をしてくれる彼等の気配りや態度が―――心地良くて。
「はい。頂きます・・・」
浮かんだ笑みは、無理に作らなくても構わないほど、自然なものだった。
真里や千冬との、心休まる一時を過ごしている時だった。
突然、周りがざわざわとし始め、人垣を掻き分けて・・・時貞が飛び込んできた。
「うわっ！」
「―――チッ・・」
驚いた真里が籠を取り落とし、千冬が拓に見えないように舌打ちした。
「拓ちゃんっ！やっと、見つけたっ！！」
そんな上級生にはお構い無しに、時貞は拓の姿だけを確認すると、大きく息を吐き出した。
そうして、椅子に座っていた拓をぎゅっと抱え込んだ。
途端に、周りの空気がピキーーーンと凍りつく。
「―――と・・・時貞くんっ？！」
いつもの事とはいえ、先輩たちの前で抱き付かれると流石に恥ずかしくて、拓は真っ赤になって時貞の腕の中から逃げようとする。
だが、いつも以上に時貞の拘束は強かった。
「・・・急に、姿が見えなくなるから・・・」
声を落として言う時貞に、拓は少しだけ目を見開いて・・・そうして、柔らかく目を細めた。
「ゴメン・・・ちょっと、外出てたから・・・。心配かけた？」
「―――うん。」
「・・・ごめんね・・・」
眉を寄せて言う時貞に、拓はそっと謝った。
「―――あー、拓ちゃんの相手はオレ達がすっから、お前はあっち行ってろって。」
ゴホンゴホンと業とらしく咳をして、真里が追い払う仕草をする。
千冬も声には出さずに、目線でそうだそうだとばかりに訴えている。
「イヤだ！」
それを真っ向から受け止めて、時貞は抵抗した。
「―――性がねぇだろ！今日は、お前目当ての女ばっかなんだから・・・」
思った事をズケズケと言う真里は、気風の良さでは非常に男前である。
アメフト部なくせに、全く筋肉の付かないような細い身体と可愛らしい顔付きからは想像も付かないことであったが・・・。
「・・・王子様はお姫様方の相手をするのが、役目なんだって！」
「―――王子っぽいなら、そっちの方が上だ！」
真里の言葉に、時貞は負けじと千冬を指差す。
指差された千冬は、一瞬目を見開いたが、次の瞬間恐ろしく魅惑的な美笑を浮かべた。
「あのなぁ・・・お姫様より、綺麗な王子様なんて・・・目当てになるわけないだろうが・・・」
・・・言い切った！
頭を抱えて、真里が言った台詞は、その場の空気を凍らすのに十分だった。
やべっ！―――と、慌てて真里が口を押さえるが、時既に遅し・・・。
「鮎川ァ〜〜〜！！」
メデューサの如く、金髪を逆立てた千冬が、冷気を漂わせて真里に詰め寄った。
「鮎川くんっ・・・ひどーーーいぃ！！」
近くにいた女生徒たちからも非難の声を浴びて、真里は絶体絶命の状態だった。
もう少しで、乱闘状態になりそうな険悪な雰囲気の中・・・それは、突然起こった。
―――フッ。
いきなり、会場内の全ての照明が消えたのだ。
「カウント・ダウンッ！」
続いて響いたマイクの声に、何事かと動揺する前に真っ暗闇の中で、拓は衝撃に固まっていた。
誰かの指先が、拓の顎を持ち上げて―――。
拓が何かを言うよりも早く・・・奪われた唇。
それは、一瞬の事だった。
驚いて逃れようと身じろぐが、深く重なった熱に息もうまく出来ず、思考がショートする。
「５・４・３・・・・」
マイクの声が何処か遠くで響くような感覚の中、何時解放されたのかも判らない。
「―――点灯っ！！」
カウントダウン終了と同時に、歓声が上がり、会場内が柔らかな光りに包まれた。
「・・・きれい・・・」
あちこちから上がる溜め息とも吐息とも付かぬ呟きは、中央のクリスマス・ツリーに向けられた。
飾られていた様々な色の電飾が、ツリーを暖かな光りで包み込んでいたのだ。
ぼんやりとその光りを見ていた拓だったが・・・次の瞬間ハッと気付いて、酷く動揺した。
ガタッ！！
「拓ちゃんっ？！」
「―――どうした？」
「・・・拓ちゃん？」
突然に態勢を崩して椅子から落ちた拓に、慌てて周りの連中が声を掛ける。
その誰もが電気が消える前と全く変わらない様子だったので、拓はますます困惑した。
真っ暗闇の中・・・一体誰が拓にキスしたのか・・・。
「・・・な・・・なんでもないっ！―――ぼ・・・僕、帰るからっ！」
瞬間沸騰した頭で、拓は精一杯の声でそれだけ言うと、バッと立ち上がった。
「・・・えっ！」
「―――拓ちゃん？」
「どうして？！」
「・・・ごめんなさいっ！」
心底驚いた表情の三人に、取り敢えず頭を下げると・・・拓はクルリと踵を返した。
―――何だか、あのままあそこに居てはいけない気がしたのだ。
すっかり暗くなってしまった寮までの道を、拓は小走りするように歩いた。
冬の木枯らしが容赦なく拓を包み込む。
それでも、熱くなってしまった頬に当たる冷たさが、心地良い。
このまま、体中の熱を奪ってくれれば良い―――そう、思った。
驚きと衝撃と混乱と・・・。
拓の思考回路はメチャメチャだった。
突然だった。
不意打ちだった。
避ける事なんか出来なかった―――出来事。
誰だかなんて、理解らなかった。
近くに居た三人の内の誰かなのか・・・それとも・・・。
それでも、たった一つの真実。
それは―――キスをされてしまったという『事実』。
そうして、気付いてしまった自分の“想”い。
はっきりと確信した・・・その事に。
グイッと乱暴に制服の口許を拭う。
ゴシゴシと何度も何度も・・・。
時貞だろうが、千冬だろうが真里だろうが・・・誰であろうとも。
―――緋咲の時は感じなかった『イヤ』と言う気持ち。
緋咲でなければ―――嫌なのだ・・・と。
「どうしよう・・・」
気付いてしまった自分の気持ちに、拓は動揺した。
こんな気持ちで、緋咲に会う事なんて出来ない―――そう、思った。
チラチラと、空から白い物が降ってくる。
「―――ちっ、降って来ちまったか・・・。」
小さく呟いて、コートの襟を立てる。
クリスマスという事もあって、緋咲のバイト先も今日は異様に込んでいて、いつものシフトで帰れなく一時間ほど延長させられて疲れていた。
単車置き場から寮への道を辿って、自分の部屋へと向かう。
同室の拓は、既に眠っているだろうと思い、いつも以上に物音を立てないように窓から部屋へと入ろうとした緋咲は、違和感に気付いた。
“―――いねぇのか？”
いつも点いているスタンドの明かりもなく、真っ暗な部屋はそこに誰もいない寒さを、緋咲に齎した。
それは、拓と同室になってから始めての事。
そうして、眉を寄せる。
イブの夜だから―――。
部屋に戻っていないのなら、他の誰かと一緒なのだろうと思い当たって。
「・・・ちっ・・・」
言いようのない喪失感を感じた自分に腹が立って、緋咲は舌打ちする。
誰にでも優しい拓は、誰からも好かれている。
特に、時貞の拓に対する執着の仕方は、昔の時貞を知っている緋咲にとっては衝撃以外の何でもなかった。
それ程に―――魅力ある『存在』。
何処か特別な何かがある訳ではない。
だが、何時の間にか傍に合っても、自然と馴染んでしまうその妙な心地良さは、拓の持つ雰囲気のせいだと思う。
穏やかに佇むその姿は、柔らかな雰囲気で全てを受け止めてくれそうな感覚を与えるからだ。
拓に取って、緋咲が特別な訳ではなく・・・。
“寮の同室の先輩”・・・そんな形容詞で済まされてしまうだろう事は容易に想像がつくからこそ。
部屋の中に、紫煙が立ち昇る。
拓と同室になってからは、一度も部屋で吸った事はなかったのに、苛立ちは知らずポケットの中のタバコを取り出していた。
心底冷え切った部屋の中で、コートを脱ぐ事も出来ずに、緋咲はタバコを咥えたまま自分のベッドに乱暴に座り込んだ。
身体は疲れて一刻も早く横になりたいのに、冷え切った思考がそれを許さない。
―――どうしてなのだろう・・・そう、考えた。
世話の焼けるチビ・・・最初は、確かにそんな印象しかなかった筈なのに。
同じ名前の―――相手。
今は亡き・・・緋咲の初めての『トモダチ』。
今では、過去の記憶の『タク』よりも、遥かに鮮やかに緋咲の脳裏に浮かび上がるその姿。
忘れないと、誓った筈なのに。
―――大事な“想い”だった筈なのに・・・。
どうして、拓にこんなにも魅かれてしまったのか・・・と。
チリン・・・。
窓の外で、小さな音がする。
「ニャア・・・。」
おまけに猫の鳴き声まで聞こえて、緋咲は思考から現実へと戻ってきた。
窓際に立って外を見ると、“チビ”が何かを咥えていた。
「お前・・・どうして・・・」
学園内に棲んでいるとはいえ裏庭からは滅多に外に出ない猫が、わざわざ寮まで来ること事体が不思議な事だった。
チリン。
返事の代わりに口に咥えた物を揺らすと、猫はフイッと向きを変えた。
そんな猫の姿に、緋咲は弾かれたように窓から飛び出して、後を追いかけた。
“チビ”が咥えていたのは、確かに拓が肌身離さず持ち歩いているキーホルダーだったからだ。
学校への道で、所々点いている電灯以外には明かりはなく、ふとすれば見失ってしまいそうな“チビ”の姿を追った緋咲は、途中で猫が何処に向かっているのかに気付いた。
「―――礼拝堂？」
長い事、この学園にいる緋咲だったが、今は全く近寄らない場所だ。
そこには、辛い思い出があって・・・。
だが、鈴の音は確かに礼拝堂へと続いていて―――。
聖夜なので、学校側も開放しているのだろう。
余程、敬虔なクリスチャンでもなければ余り近寄らない場所なだけに、明かりは点いていたが人の気配は全くと言っていいほどなかった。
キィ・・・。
何年振りかの扉を、緋咲はゆっくりと開けた。
部屋の中、一歩入った緋咲は、眉を顰めた。
中央の祭壇の上、キリストとマリアが描かれたステンドグラスが厳かに輝いている。
“願いは、叶わなかった。”
それだけが、緋咲の胸に棘となって突き刺さっているだけだ。
鈴の音は、何時の間にか止んでいた。
「・・・チビ？」
小さく呼びかけるが、鳴き声も聞こえない。
間違いならば、こんな場所は長居は無用だと、緋咲は出て行こうとした。
だが、視界の片隅に感じた違和感に、気付いて顔色を変えた。
一番端の椅子の背に凭れかかる様に蹲っている姿に、気付いたからだ。
そうして、それが誰なのか気付いた緋咲の足は、意識するより先に動いていた。
「―――拓っ！？」
近付いて声を掛けるが、返答が無い。
ぐったりとした姿を揺さぶろうとして、膝の上にあったキーホルダーが弾みで落ちて、小さな音を立てた。
きつく綴じられている瞼は開く様子も無く、紅い顔の割には唇は血の気を失っていた。
何よりも緋咲が驚いたのは、触れた瞬間に感じた冷たさだった。
一体何時間ここにいたのか・・・そんな考えすら湧き上がる様な感触だったのだ。
どうする？―――一瞬躊躇した緋咲の腕に、拓の指先が触れた。
「・・・ぱぃ・・・？」
不意に、小さな声が聞こえて、緋咲は我に返る。
だが、顔を上げた拓は何処かボウッとした状態で、緋咲を見ていた。
「・・・夢・・・？・・・うん・・・夢でも良いや・・・。」
思わず言葉を無くした緋咲に、拓は掠れた声でそう言うと、ゆったりと笑った。
「―――会えて・・・嬉しい・・・。良いよね・・・クリスマスだし・・・夢だから・・・自分に、素直になっても・・・」
微笑を浮かべながら・・・零れ落ちるのは『涙』。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
スローモーションのように、唇が形作った言葉は、声音にはならなかったけれど・・・確かに、緋咲は受け取めた。
その瞬間、確かに緋咲は衝撃を受けたのだ。
意識するよりも先に、気付けば拓を腕の中に抱き締めていて・・・。
この瞬間が、夢ではない事を―――確かめたくて。
誰かが、自分に向かって、その言葉を使う日が再び訪れるなんて、思いもしなかったから。
「・・・あ・・・」
腕の中、何処か夢見るような視線だった拓の瞳に、輝きが戻る。
「―――え？！・・・あ・・・あのっ！！」
驚いたような声と共に、緋咲の腕の中から逃れようとした。
「・・・たく・・・」
だが、緋咲は腕の力を緩めなかった。
腕の中に包み込んだまま、名前を呼ぶと・・・拓の動きが止まる。
「・・・あの・・・僕・・・・その・・・」
真っ赤になったまま、困ったように俯いてしまう拓は、夢だと思っていたのに、本当に緋咲がいた事に心底驚いていた。
夢だと思ったから・・・幻想だと思ったから・・・だから、自分の気持ちを素直に伝えられたのに・・・それが、本物だったなんて、このまま何処かに消えてしまいたいほど恥ずかしかったのだ。
「―――好きだ・・・。」
不意に、拓の耳に飛び込んできたその言葉に、拓はビクリと身体を震わせた。
信じられなくて・・・大きく瞳を見開く。
だが、次の瞬間に思い出した光景が、緋咲の言葉を素直に受け止められなかった。
「・・・うそっ・・・」
フルフルと首を横に振って、拓はギュッと手を握った。
「だって・・・先輩には大切な人がいるって・・・」
拓は知っているのだ。
緋咲の視線が、いつも誰かを探して漂っている事を。
いつも裏庭にいるのも、その人を待っているからだと言う事―――を。
知っているから、だから・・・あの人がそうなのだと、思って・・・逃げて・・・。
「何言って・・・？」
突然の拓の言葉に、今度は緋咲が驚いた。
確かに、『大切な相手』だった。
今はもういない・・・何処にもいない相手。
誰にも話した事がないその事を、何故拓が言うのかが分からなかった。
「裏庭で一緒に居たから・・・先輩はあの人と付き合ってるんだって・・・」
泣きそうな声で言う拓の台詞に、緋咲は漸く思い当たる事柄を思い出して苦虫を噛み潰したような顔になった。
「―――見てたのか・・・」
不意打ちとはいえ、仲間だからと気を許したのは自分の落ち度だ。
高校から同じクラスになった仲間の内の一人で・・・まさか自分に対してそういう感情を持っていたなんて思いもしなかった相手だっただけに。
また、それ以上に油断してたのは、相手を拓と取り間違えた為。
「・・・あ・・・」
自分で言った言葉に傷付いた表情を浮かべた拓を、緋咲は真っ直ぐに見据えた。
「違う！俺が前に言った『大切なヤツ』はあいつじゃない。・・・約束した相手は・・・」
そう言って、拳を握り締める。
それは、傷だ。
深く深く、緋咲の心の奥底にあって、いつまでも消えない―――傷跡。
「事故で死んだんだ。―――もう、１０年も前の話だ・・・。」
眉をきつく寄せて、搾り出すように告げた緋咲の告白に、拓は酷く衝撃を受けた。
「―――っ・・・・」
大きく瞳を見開いたまま、両手で口を押さえて・・・固まる。
「・・・ご・・・・・・ごめ・・ん・・・なさ・・・い・・・」
それを告げる緋咲がどれ程辛かったのか、拓は気付いて自分の犯してしまった酷い仕打ちを恥じた。
ポタポタと涙を溢しながら、緋咲の腕を掴む。
そんな拓の様子に、緋咲は逆に癒された。
ずっと棘のように突き刺さっていた気持ちが、告白する事によって楽になれた気がした。
友達を失った喪失感は、一生消える事はない。
幼い頃の、初めての友達で・・・自分を好きだと言ってくれた大切な相手だったから尚更、緋咲はずっとその想いに囚われていて他の者を近づける事ができなくて・・・。
なのに、気付けばこんなにも深く係わってしまった『相手』。
世話が焼けて、おとなしい癖に無鉄砲で―――目が離せなくて。
何時の間にか、こんなにも惹き付けられてしまったから。
「・・・拓・・・」
名を呼ぶと、顔を上げる。
涙に濡れた瞳が、やけに綺麗に見えた。
ああ・・・と緋咲は確信した。
他人の気持ちを思いやれる拓だからこそ・・・緋咲の悲しみを受け止めて泣いてくれる相手だから、こんなにも惹かれるのだと。
「・・・好きだ。」
もう一度、言い聞かせるように告げると、拓は何かに耐えるように眉を寄せた。
そんな拓を抱き寄せて、緋咲はその耳元に唇を寄せる。
『―――好きだ・・・たく・・・』
それ以外の言葉を持たないから、それだけを声音にする。
何度も・・・何度でも・・・。
拓が、理解ってくれるまで。
―――信じてくれるまで。
おずおずと伸ばした指先を、緋咲の背中に回して・・・拓は全身の力を抜いた。
耳元で囁かれる心地よい響きが、全身に歓喜を齎す。
夢のようだと思った。
ずっと、片思いなのだと―――そう、思っていた。
それなのに、こんな風に告白されるなんて・・・奇跡でしかありえない。
ありえないのに、嬉しくて・・・嬉しくて・・・。
緋咲の腕の中で、拓はこれ以上はない程の安堵に包まれていた。
「・・・たく・・・」
呼ばれて顔を上げると、目の前に緋咲の顔があった。
思った以上に整った顔立ちは、鼻頭の傷さえなければ結構な男前なのだと気付いた。
時貞のように彫りの深い整った顔立ちではないけれど・・・綺麗だと思った。
ボゥッと見蕩れていたら、そのまま近付いた顔が、拓の唇を掠めた。
途端に、ﾄﾞｷﾘッと鼓動が鳴った。
ゆっくりと重なった唇の感触と共に、拓は瞳を綴じる。
―――暗闇で、誰だかわからない相手に感じた嫌悪感は、緋咲相手では全く無い事が不思議だった。
それどころか・・・泣きたくなるほど満たされるのだという事を、初めて識った。
一瞬が永遠に続くかのような、『高揚感』。
好き・・・と言う気持ちが次から次から溢れてきて・・・。
―――どうにかなってしないそうなぐらい、幸せだった。
チリン・・・。
足元にあったキーホルダーの鈴の音に、漸く二人は唇を離した。
気付いた緋咲が、それを拾って拓に手渡した。
「チビがこれを持って、俺を呼びにきたんだ・・・」
思い出したように、そう告げる。
拓は緋咲に凭れ掛かったまま、まだボーッとしていた。
何だか、身体がだるくてふわふわした気分なのは、キスの所為なのだろうか？
「・・・そう言えば・・・僕・・・裏庭にいた筈なのに・・・」
ぼんやりとした意識で、拓は意識を失う前の事を呟いた。
何時の間にか見知らぬ場所にいたので、拓は目の前に現れた緋咲が幻影だと思ったのだ・・・と。
そうして、互いに顔を見合わせて。
―――浮かんだのは、困惑。
「・・・本当に・・・奇跡？」
「―――マジかよ・・・」
唖然と声を出す拓に、緋咲は髪を掻き揚げて吐き捨てた。
「まぁ・・・でも・・・。たまには、神様も粋な事をするって事だ。」
「はは・・・」
なげやりに言う緋咲に、拓は乾いた笑いを浮かべた。
粋かどうかは判らないが、プレゼントは最高な物を貰ったような気もするので。
カラーーーン・・・カラーーーン・・・・。
小さな鐘の音が鳴り響く。
１２時の鐘だった。
礼拝堂を出ると、外は何時の間にかうっすらと真っ白な景色に変わっていた。
空からは、先程よりも大きな雪の塊が落ちて来ている。
この分だと、明日の朝にはもっと積もっているだろう。
「くしゅ！」
外に出た途端、襲ってきた寒さに拓の口許からクシャミが飛び出す。
「・・・大丈夫か？」
「・・・は・・・はい・・・」
気遣われて、慌てて拓が気を取り直すと、不意に手が触れた。
握られた指先が、そのまま緋咲のコートのポケットに入れられる。
「・・・先輩！？」
「少しは、違うだろ。」
言われて、拓はどう返事をすれば良いのか判らなかった。
何だか、胸が一杯で・・・・喚きたくなるぐらい・・・照れくさくて・・・。
「・・・あ・・・ありがとう・・・ございま・・・す・・・」
だから、語尾が小さくなってしまう。
ギクシャクと歩く拓を見て、緋咲の目元が柔らかくなった。
口端を持ち上げて、浮かんだ笑みは、拓が初めて見るもので・・・。
ドキドキするぐらい、魅力的だった。
ちらちらと降る白い結晶。
世界は二人だけのもので・・・。
寮までの帰り道。
繋いだ手の温もりが、何だかくすぐったくて。
クリスマス・イブ。
キャンディのように、甘い時間。
二人で過ごす、夢の『刻』。
聖なる夜の―――奇跡の一夜。
想いが通じ合ったのは、確かに奇跡のような出来事だから・・・。
夢じゃ無い事を確かめる為に、寮に帰ってから眠る前に交わした口付けは―――どちらからのものといえないほど、互いに求め合ったものだった。
ＥＮＤ． ／ 戻る |