曇天の空から白いものが降ってくる。

「あー・・・降ってきちゃった。」

家を出た途端に、空から舞い落ちるモノを確認して、空を見上げてから、少し恨めしそうにそう呟く。
天気が悪いと、単車通学の連中がこぞって学校を休むからだ。

「今日は、龍也先輩・・・ちゃんと学校に来るかなぁ・・・」

ポツリと呟いて、視線を鞄に向ける。
中に入っているのは、綺麗に包装された小さな包み。
目的の人物がいなければ、持って行く事すら馬鹿馬鹿しいモノ。
＜うーん・・・ま、良いか。＞
一瞬だけ迷ったけれど、そのまま鞄を持ち直す。
学校で会えなければ、放課後にでも電話で居場所を確認して持っていけば良いのだ―――そう、その時の拓は思っていた。

「おはよう、博之くん。今日も寒いねぇ。あれ？南くんは・・・今日、お休み？」

教室に入って開口一番に挨拶をするのは、既に後ろの席に座っていた臣に向かってだ。
マフラーと手袋を外しながら、隣の席の南がまだ来てない事に気付いて、いつも一緒に居る程仲が良い臣に問い掛けた。

「おっす、拓。あー、南は今日は面倒くさい事になりそうだから、休むってよ。」
「・・・面倒くさい？」

臣の言葉の意味が良く理解らなくて、拓はキョトンとしたまま小首を傾げる。
途端に、サラリとした髪が動いて、小動物のような雰囲気を醸し出した。
一瞬見惚れてしまった臣は、次の瞬間ほんの少し眉を潜めて惹き付けられてしまった視線を逸らした。

「あぁ。」
「ふーん。雪が降ってるからかな？南くんも、寒いの嫌いだって言ってたもんね。」

一人で納得して、拓は自分の席に座る。
そうして、鞄の中から教科書やノートなどを取り出した。
途中でリボンが引っかかってしまった時はドキンとしたけれど、こっそり元に戻した。

「―――拓。」
「・・・え？」
「やる。」

急に臣に呼ばれて、振り返るよりも先に何かが飛んでくる。
コツンと頭に当たったそれを、何とか両手で救うようにキャッチすると、それは包装紙に包まれた小さな四角い箱のような物だった。

「博之くん？」
「お前、甘いモノ好きだろ？」
「う、うん。好きだけど・・・何これ？」

手の中の小箱を見ながら、不思議そうに尋ねるが、臣からの返事はない。
黙ったまま、ムッと視線を外して空を睨んでいるような不機嫌そうな表情なのに、その耳が朱くなっている事に、拓は気付いた。
そうして、その意味を理解して瞬時に真っ赤になった。

「え？え・・・っと・・・もしかして・・・。」

まさかと思いながらそっと臣を伺うと、拓と同じように赤くなっている頬に、予想が確信に変わる。

「・・・ありがとう、博之くん。」

口をへの字型にしたままの臣に向かって、拓は素直に心に浮かんだ想いを口にした。

「―――ん。」

漸く、臣の表情が和らぐ。
どうやら、彼らしくもなく緊張していたらしい。

「あの・・・でも。ボク、なにも用意してなくて・・・」
「―――気にしなくて良い。俺が、勝手に用意しただけだ。・・・受け取ってくれて、サンキュ、な。」

ホッとしたように口端を上げて苦笑した臣が、拓の髪をクシャッと撫でた。
拓がこの学校に転校してきてからずっと、臣は色々と面倒を見てくれる。
友達以上に親密な彼等との関係を、拓は親友になれたからだと思っていた。
龍也の周りに集まる先輩たちのように、信頼関係が築かれているからだ―――と。
だけど、それは拓だけの想いで・・・臣にしてみれば、目が離せない護るべき相手として想いが育ってしまっているのだ。
それをはっきりと自覚したのは、選りによって尊敬していた龍也と、拓が出来上がってしまった後なのだから猶更気持ちが収まらなかった。
不意打ちの厄災のような事故の所為で、入院する羽目になっていた間に、二人が急速に親密になってしまうとは、想像できる筈もないではないか。
退院した後の、拓の龍也への懐き度を目の当たりにした時から、臣の中では龍也は尊敬する先輩から、ただの恋敵へとなったのだ。

「んで、お前は？」
「―――え？」
「渡すんだろ？あの人に。」

自嘲気味に笑いながら臣が問い掛けると、途端に拓の表情が変化する。
ポーッと紅に染まる頬が、触りたくなる位柔らかそうで。
思わず指先を添えて確かめたくなった。

「―――たーく、ちゃんっ！！」

突如、教室内に響いた明るい声に、ビクッとしたのは臣と拓だけではなかった。
臣と拓の居る場所から醸し出されていた妖しい雰囲気を、微妙に気にしていたクラスメートたちまでもが、教室に飛び込んできた珍客に硬直していた。

「え？・・・マー坊・・・くん？」
「マサト？！テメー、何しにきやがった！！」

びっくり眼のまま茫然とする拓を背に庇いながら、天敵に登場に臣が表情を変える。

「何・・・って？今日は、バレンタインじゃん。だから、拓ちゃんからチョコレート貰おうと思って。ね、用意してないんならこれから買いに行こっ！」

にーっこりと笑って告げる金髪小僧の名は鮎川真里。
女の子のように可愛い顔と、拓と同じような小柄な体躯でありながら【爆音小僧】７代目の頭でもある。
勿論、拓が大好きな先輩である【朧童幽霊】とは敵対するチームであり、しかも龍也と真里は因縁の間柄でもあったりする。
だから、拓にしてみれば余りお近付きになりたくない相手なのだが、何故か転校早々から気に入られてしまっていて、今に至る。
拓の従弟であり、この学校に拓が転校してきた理由でもある、誠が絡む複雑な人間関係の所為でもあるのだが、拓には全く理解らない。
しかも、何故拓のチョコを欲しがるのかも、考えると怖いので、考えたくない。

「―――フザケンナ。消えろ。死ね。」

臣の口調が単語だけになる。
頭に血が上りきって、言語中枢がマヒする程、臣が怒っているのだと気付いた拓は、ギュッと臣の制服を握りしめた。
キレた臣が真里と喧嘩して、また傷付くのが嫌だったから。

「お前には、言ってねぇよ。」

一変で表情を変えた真里の覇気が、ビリビリと空気を震わせていく。
そんな一触即発の状態に、オロオロしながら、拓は目線を漂わせる。
だが、頭クラスのタイマンを止められる者は流石にいない。
いつもなら臣を宥めてくれる南も今日は休みなので、拓は思わず泣きたくなった。

「―――マー坊っ！！」

そんな空気を破ったのは、教室に飛び込んできた【爆音小僧】の特攻隊長だった。

「あ、ヤバッ！」

鬼の形相で飛び込んできた秋生を目にした真里が、悪戯が見つかったかのような表情を浮かべて肩を竦める。

「あれだけ自分から厄介事を起こすなって、いつも言ってるだろ？！」
「えー、だってさぁ、アッちゃん。俺、拓ちゃんからのチョコ欲しかったんだもーん。」
「もーん・・・って。」

叱りつける秋生に、真里が唇を尖らせて膨れっ面になっている。
そんな真里に、秋生はがっくりと肩を落としている。
その背中に哀愁の二文字が浮かんで見えて、拓は思わず同情しそうになってしまう。
真里が甘いモノが大好きなのは、拓も知っている。
これだけ大々的に甘いモノが貰える日なのだ。
貰えそうな者に集りにくるのも可笑しくないかもしれない。
何しろ、真里の欲しがり方は、従弟の誠そっくりなのだ。
毎年、男である自分にチョコをくれと言い続ける誠と同じだと思ったら、なんだか憎めなくなった。

「あ・・・あの。チョコは流石に買いに行けないけど・・・誠兄さんに渡すつもりだったのでよければ・・・。」

臣の背後から、そっと声を掛ける。

「えっと、夏生さんの分もあるから・・・。持ってってもらえるんなら、一緒に食べても・・・良いよ。」

鞄の中から、大きい方の包みを取り出す。
簡単に包装されたそれは、徳用のチョコチップクッキーだった。
本命とは違うけれど、毎年欲しがる元【爆音小僧】の６代目連中の口に入るものならば、同じ【爆音小僧】の真里たちが食べても構わないだろう。

「わーい♪」

拓が秋生に渡した袋を、真里が嬉々として奪い取った。

「ちょっ、待て！マー坊！！流石に、先に開けたらアニキたちに殺されるゾ！！」

袋を抱えたまま逃げるように教室を出て行った真里の後を追って、秋生が走り去っていく。
その姿は、まるでいう事を聞かない聞かん坊を世話する苦労人のようで、その場の全員が呆気にとられた。

「・・・ふぅ。」

がっくりと力が抜けた拓が、崩れて机に持たれる。

「―――疲れたぁ・・・」

息を吐き出すように、緊張を飛ばす。
今更ながらに、震えが止まらない。
もしもあれを持っていなければ・・・。
目を閉じて息を吐き出す。
鞄に入っているもう一つの包みを死守できただけ、自分を褒めても良いだろう。
ドガンッ！！
凄まじい音がして、椅子が壁に叩きつけられる。
思わずビクッとした拓が顔を上げると、蹴り上げた状態の足を戻す臣の姿が合った。

「・・・博之・・・くん？」
「―――帰る。」

全身から怒りを漲らせているような臣の姿に、拓が恐る恐る声を掛けると、不機嫌そうにそう言って臣は背中を向けた。
その背中が、全部を否定しているようで、拓はそれ以上声を掛けられない。
何が、臣の気を阻害したのか理解らなくて、拓はしょぼんと項垂れて、机に顔を伏せた。
同時に、予鈴が鳴り響いた。

臣も南もいない昼時間。
お弁当を持って、拓はいつもの溜まり場へ向かおうとして、外が雪だった事を思いだした。

「そっか・・・。流石に、こんな天気じゃ、先輩たちもいないよ・・・ね。」

ポツリと呟いて、昇降口で途方に暮れる。
今更、教室に戻っても一緒に食べてくれる者はいないだろう。
一人で食べるのは、淋しいけれど・・・仕方ない。

「―――浅川？一人か？」

不意に、背中に声を掛けられて一瞬ビクッとしてしまう。
だが、声の響きが知っている者の音だったので、拓は慌てて振り返った。

「都築先輩？」
「おう。」

その名を呼ぶと、珍しく一人らしい相手が鷹揚に片手を上げて笑った。
龍也の右腕とも言える相手に、少し緊張しながら拓はその側に近付く。

「こんにちは。今日は、龍也先輩はお休みですか？」
「リューヤくん？何だ、まだ会ってねーのか？」
「・・・？」
「今朝からあっちこっちにウロウロしてっから、オメーの事探してんだと思ってたんだが・・・・」
「えぇ？」
「―――どーりで、未だに不機嫌だと思ったぜ。所で、オメーは何でこんなトコでウロウロしてたんだ？リューヤくん探してたのか？」
「あの・・・お弁当を。臣くんも南くんもいなくて・・・いつもの場所が雪で・・・だから・・・。」

会話を交わす内に、その口からとんでもない内容が飛び出して、拓は思考が追いつかなくてシドロモドロになってしまった。

「あー。今日は、外も屋上も無理だな。―――来いよ。」

一瞬眉を潜めた後で、都築が顎で先を促す。
その両手に抱えている袋には、購買のパンや飲み物が入っているようだった。

「あの、良いんですか？」
「良いも何も―――リューヤくんの機嫌直してくれ。」
「えぇ？龍也先輩、そんなに機嫌悪いんですか？えっと・・・誰かと、喧嘩したとか？・・・先生に怒られたとか―――したんですか？」

機嫌の悪い龍也と言えば、そこらの一般生徒が怖がって目を逸らして道を開けるという状態だ。
そんな龍也に対して、どうすれば機嫌が良くなるのかなんて想像もつかない拓は、恐々と都築に尋ね返した。
都築は都築で、拓を見返して呆れたような顔を浮かべた。

「―――はぁ？オメー・・・」

食い入る様に拓を見詰めて、それから疲れたようにハーーッとため息を零している。

「リューヤくんもどうかと思ってたが・・・オメーの鈍さはそれ以上だな。」
「・・・えーと・・・」

心底呆れられたように呟かれて、拓は身を竦める。
質問と全く違う答えで、鈍いと言われるのなら、どうすれば良いのか。
いつも一緒にいられる訳ではないから、龍也が何で機嫌が悪いのかを拓が理解できる筈も無いのに。
二人で並んで歩きながら、会話が途切れる。
気まずい空気は、専攻の空いている教室の扉が開かれた事で終わった。

「―――遅ぇーぞ、都築クン！」
「腹、減ったぁ！！」
「目ぇ回って死にそーっ・・・」

扉を開けた途端に、批難轟々の嵐で、拓の方が一瞬立ち止まってしまう。

「悪ぃ、悪ぃ。途中で、思わぬ拾いモンしちまったからな。リューヤくんは？」
「―――あっちにいっけど・・・」

中にいた【朧童幽霊】のメンバーも、拓の姿を見て声を失くしていた。
そんな中、都築だけが飄々とした様子で中に入って声を出した。
そうして返ってきた声に小さく頷く。

「あっちか。んじゃ、頼むな。これ、リューヤくんの分だから。」

隣に続く準備室の方へ視線を向けて、都築はそう言うと持っていた袋の中から幾つかの調理パンと缶コーヒーを取り出して拓に手渡した。

「あ、はい。」

思わず受け取ってから、拓は大きく目を見開く。

「・・・って、ボクが？！」
「文句あんのか？！」

驚いて聞き返すと、ギロリと睨まれて息が止まる。
それでも、機嫌の悪いという龍也の傍に行くにはちょっと二の足を踏んでしまいそうだ。

「良いから！今のリューヤくんの機嫌を治せんのも、オメーしかいねぇんだよ。」

バシッと思いっきり背中を押されて、そのままの勢いで準備室に押し込まれる。
後ろでパタンとドアが閉じられて、拓は生きた心地がしなかった。

「―――都築？」

窓の外を睨むように立っていた龍也が、音を拾って振り返る。
途端に、驚いたようにその瞳が見開かれた。

「あ・・・あの・・・今日はいつもの溜まり場じゃお弁当食べれなくて・・・臣くんも南くんもいなくて・・・どうしようかと思ってたら、都築先輩がいて・・・。それで・・・」

真っ直ぐに見つめられて、頬を赤くしながら拓はしどろもどろ口を開いた。
こんな状態で頭ごなしに龍也に怒られたり嫌われたら立ち直れないと思いながら、伺うように龍也を仰ぎ見る。
俯いた状態から顔を上げたら、いつの間にかすぐ近くに龍也がいて、拓はドキンと鼓動を強く鳴らした。

「あのっ、こ、これ、都築先輩から！龍也先輩の分だって・・・」

思わず持っていた物を、両腕を付き出すようにして差し出してしまった。

「あ、あぁ。」

受け取った龍也の様子がそんなに怖くないので、拓は逆に戸惑ってしまう。
改めてジーッと見ても、龍也の機嫌が悪いようにはそれ程見えなかったからだ。

「―――悪かったな。一緒に食うか。」
「・・・はい！」

思っていた以上に普段通りで、尚且つ柔らかな口調でそう言われて、緊張していた拓も漸く力が抜けてホッとしたように笑顔を浮かべた。

「じゃあ、都築先輩たちも・・・」

クルリと振り返って呼んで来ようとした拓の肩を、龍也がガシッと掴む。

「あいつ等は、勝手に喰ってるから。」
「でも・・・折角誘って貰ったのに・・・」
「構わん。」

何故か顔を赤くして告げる龍也に、拓が困ったように告げると、言い切る様に会話を切られてしまう。
そのまま龍也に促されて、仕方なく拓は準備室の椅子に座った。
龍也が良いというのなら構わないし、二人で食べられるのならそれはそれでドキドキしてしまうが嬉しいのも事実だから。

「あの、僕のお弁当も一緒に食べて下さいね。龍也先輩、卵焼きお好きでしたよね？」

机の上にお弁当を広げて、漸く食べ始める。
自分のお弁当を半分渡す代わりに、拓は龍也の調理パンを一つ貰って、二人で仲良く食べた。
思いがけずに訪れた幸せな時間に、拓はいつも以上に饒舌になって龍也に話しかけて、龍也はそんな拓の言葉を聞きながら、たまに相槌を打ってくれた。

「ご馳走さまでした。」

両手を合わせて、感謝の意を示して、拓はお弁当箱をしまう。

「・・・あっ！」

包む動作をしている最中に、拓は大事な事を思いだして、声を出した。

「どうした？」

気付いた龍也が問い掛ける。
龍也に気遣われて、途端に拓はカアァァァッと顔を赤らめた。

「あ、あの・・・ボク・・・。龍也先輩に渡したい物が・・・。」
「―――ん？」
「えっと今、それを持ってきてないので・・・放課後は？そんなに時間かけないので、放課後、空いてますか？」
「あ？あぁ。」
「良かった。じゃあ、放課後・・・って。龍也先輩。あの・・・約束、いつもの場所でも良いですか？」

キョロキョロと周りを見回してから、恥じらうように真っ赤になって小さな声で、拓はそう言葉を発した。
そんな拓の様子に、龍也もゴクリと唾を飲んで慎重に頷く。

「―――解った。」

そう龍也が応えた途端、拓は本当に嬉しそうに柔らかな微笑を浮かべた。
つられた様に、龍也の眼差しも和らいだ。

朝から降り続いている雪の所為で、放課後には辺りはうっすらと雪化粧していた。
アスファルトの道路だけではなく、校庭や芝生など、土の場所すら白くなっていた。
昇降口から、いつもの溜まり場へと歩いてきた拓の足跡の上にも、空から次々と舞い落ちる雪が降り積もっていくようだ。
＜・・・先輩・・・まだかな？＞
誰も居ないプール脇は、凄く静かで・・・自分の心臓の音だけが響く。
雪に当たらないように木の下で佇みながら、拓は両手で持った包みを胸に抱いたまま、俯いたり視線を流したりしていた。
相変わらず空はどんよりとしていて、時間の感覚が理解らない。
拓がその場所に来てからどれ位経ったのか・・・。
寒くて足先の感覚までも痺れそうになった頃。

「―――悪い。待たせたな・・・」

漸く待ち合わせ場所に現れた龍也の姿に、拓は愕然とした。

「・・・りゅ・・・龍也、せんぱ・・・い・・・？」

大きく目を見開いて凝視してしまう程、龍也の姿が思い掛けないものだったから。

「怪我してっ？！」

慌てて木の下から飛び出して龍也の傍へと近寄る。

「あぁ。途中で【魍魎】の奴らが邪魔しやがったから、潰してたら、一条の野郎が出てきて・・・」

切れた口端から滲む血を、グイッと拳で拭いながら龍也は憮然と呟く。
途端に、拓はゾーッと背筋を凍らせて、ブルッと身体を震わせた。
この学校内で４天王と呼ばれている内の二人がぶつかったのだとしたら、どれだけ凄い死闘だったのだろうかとか、周りの被害を想像して蒼くなる。

「―――っ！！」
「あっ、ほ・・・保健室へっっ！！」

痛みに顔を歪める龍也を見て、拓がオロオロしながらそう告げる。
そのまま踵を返しそうな勢いの拓の肩を、龍也が掴んだ。

「・・・拓。」

名を呼ばれて、ビクッと身を竦ませる。
今にも泣きだしそうな拓を、龍也は安心させるように片手で引き寄せた。

「大丈夫だ。だから、落ち着け。」
「で、でも・・・」
「―――大丈夫だ。」
「・・・は、い。」

静かに二度言われて、やっと拓も頷く。
それでも、ポケットから取り出したハンカチで、龍也の傷口の血をそっと抑えるように拭う。

「・・・ったく、お前の方がこんなに冷たくなっちまってるじゃねぇか。」
「先輩・・・。」

ボソリと告げる龍也に、拓は少しだけ強張った表情を和らげた。
最初は物凄くとっつき難くて怖い人かと思っていたのに、その懐に入れてもらってからは優しくて不器用な人なのだと知ってますます惹かれている。
同じ男なのに、憧れはどんどん違う意味に成長してしまって・・・。

「んで？」
「―――え？」
「俺に渡したい物って、何だ？あそこに転がってる、あれか？」

クイッと顎で地面を示されるままに視線を移して、拓は仰天した。
先程、余りにも驚いたので取り落としてしまっていたらしい。

「ああぁっ！そ、そうですっ！！」

かあぁぁぁっと真っ赤になって、慌てて龍也の傍から離れて木の下へ戻って落ちていた小箱を拾い上げた。
＜・・・良かったぁ・・・＞
少し包装が濡れてしまったが、目立った汚れは何処にも付いていない。

「―――拓？」

背後から龍也が近付いてくる。
立ち上がってクルリと振り返ると、拓は真っ直ぐに龍也を見上げた。

「あ、あの・・・これ、受け取って下さい！」

真っ赤になったまま必死に声を出して、両腕で持っていた包みを龍也の目の前に差し出す。
怖くて拓はギュッと目を閉じる。
時が止まったような瞬間。

「あ？・・・あぁ。」

―――一瞬戸惑った龍也だったが、それでもちゃんとそれを受け取った。
手の中の重みが無くなった途端、拓は思わずへなへなとその場に膝を付いてしまう。

「どうした？！」
「―――よ・・・良かったぁ・・・」

思わず片手を差し伸べた龍也に縋りながら、拓は安堵の表情を浮かべる。

「おい・・・。んなに、緊張するような中身なのか？」

憮然と聞き返す龍也に、拓はプシュウと頭から湯気を出しそうな勢いで赤くなってから、恥ずかしそうに目線を落とした。

「あ・・・あの・・・チョコです・・・」
「―――あ？聞こえねぇゾ。」

消え入りそうな声でボソッと呟いた拓の言葉に、龍也はムッとした表情となってしまう。
見る見る内に眉が中央に寄って機嫌が悪くなっていくのを感じて、拓は泣きたくなった。
物凄く恥ずかしくて居た堪れないのを必死に我慢して、覚悟を決めて顔を上げる。

「だから、中身はチョコレートですっ！龍也先輩、チョコなら食べるって聞いて・・・それで・・・」

最初は強く言えても、どんどん声が小さくなってしまう。
まっすぐに見つめてくる強い視線は反則だ―――と拓は思った。
そんな目で見られたら、言いたい事の半分も拓には告げられない。
心臓が破裂しそうにドキドキ鳴っていて、息苦しくて・・・。
語尾が小さくなって困ったように俯いてしまった拓の様子に、龍也は訝しげな顔付きとなった。
そうして、拓の言葉をもう一度頭の中で反芻して―――。
次の瞬間、龍也は思い当たったこの時期のイベントを認識して、驚きの余り瞠目した。

「―――っ」

龍也の頬に、似合わない朱が走る。
真っ赤になったまま顔を上げられない拓に視線を向けてから、龍也はその眼差しを無理やり逸らした。
そうして、そっぽを向いたまま黙り込む。
沈黙に拓が耐え切れなくなってそーっと顔を上げると、珍しく顔を赤くしている龍也が視線を逸らしていたのでシュンと肩を落とした。

「あの・・・やっぱり、迷惑ですか？」
「―――ちがっ！」

小さく呟いた拓に、龍也は慌てたように視線を戻して・・・。
二人の視線が真っ向から絡まった。
途端に、龍也の方がバッと視線を逸らしてしまう。
それから、片手で顔を覆って―――

「・・・う、嬉しいに、決まってんだろ・・・」
「―――はい・・・。」

照れたようにボソッと告げられた龍也の言葉に、拓の大きな瞳が更に大きく見開かれてから、ゆっくりと細められた。
嬉しそうなその笑みに、龍也の視線が捕まる。
そこが学校だという事も忘れて、龍也は無意識に拓を引き寄せた。
唇が重なったのは一瞬の出来事。
直ぐに強く腕の中に抱き込まれて、拓はクラクラとのぼせ上がった。
空から舞い落ちる白い花のような結晶が、二人の姿を景色に同化させていく。
総てが凍る様な寒さの中なのに、二人の周りだけは暖かくて・・・。
龍也の腕の中に包まれて、拓は蕩けそうな顔で微笑っていた。