ｂａｂｙｂａｂｙ3


　闇を切り裂くかのようにヘッドライトが輝く。
　それは、始まり。
　―――狂乱の祭りの夜の。
　不思議なざわめきが、静寂の夜に呼霊するかのように、いくつものエンジン音が流れていく。
　『朧童幽霊』の集会パレードは、拓の想像以上に大規模な物であった。
　

　「すごいや・・・。」
　次々と流れていくテールランプの波が、まるで漆黒の中を泳いでいるようだ。
　その幻惑的な空間の中を、一緒に走っていた拓は、感嘆のような吐息を漏らした。
　「―――ハッ、去年までここらを"走"ってた、『爆音小僧』なんか、この数倍は凄かったって話だぜ。」　
　「へぇ・・・。」
　隣を走っていた南の言葉に、拓は目を見開いて想像もつかない・・・と呟いた。
　「オレ等には、カンケーねぇ事だ。」
　拓の反対隣を走っている臣が、余計な事を言うなという目つきで南を睨みつけている。
　ただでさえ、先程から、先輩達の目を引きつけ過ぎているという感じが拭えないので、こうやって回り込んで牽制しているというのに。
　・・・不用意な一言が、厄介事を引き起こすのはとてつもなく簡単な事なのだ。
　学校の中でなら、いざ知らず、この状態で囲まれたら、流石に臣でも、拓を庇い切る自信などない。
　更に、先輩達よりも厄介で、始末に終えない・・・"疾風"が・・・。
　予感が、臣の背筋を駆け抜ける。
　『朧童幽霊』のパレードに、真っ向から飛び込んでくる"強者"共。
　それが、何を意味するのかを、臣は嫌という程知っている。
　ゾクリ・・・と全身が総毛立つ。
　先頭を走る"総長"の背中に、怒りのオーラが立ち上ったような気がした。
　「―――来たぜ。」
　ボソリと呟く臣の視線は、更にその先の闇の中へと向けられていて・・・。
　「え？何・・・」
　臣の"気"に触発されたかのように、ピンと張り詰めた空気の中で、拓の表情が強張る。
　そうして、遠くから聞こえてくる"疾風"の音が耳を襲う・・・。
　「・・・アキオ・・・」
　「―――リョー・・・。」
　臣と南の表情が、修羅の形相へと変化する。
　暗闇の中、前方からライトが見えたと思った瞬間に、それらは何の戸惑いもなく、パレードの中に突っ込んできたのだ。
　―――七代目"頭"である、鮎川真里が率いる『爆音小僧』が。
　途端に、その場は"戦場"と化した。
　

　「南ィーーー！！テメーッ！"ナマイキ"なんだヨォッッ！！」
　「ウルセーッ！！今時、ンな頭なんか流行ンねーゾ、コラ！！」
　"武闘派"で知られる『朧童幽霊』に少しも引けを取らずに、力で対抗してくるチームというのは、数が少ない。
　そんな中でも、『爆音小僧』と『魍魎』は因縁の繋がりがあった。
　『朧童幽霊』の初代総長である、榊龍也は、昔は『爆音小僧』の一員でもあったのだ。
　現在ではなく、過去の。
　それが、何故、因縁の間柄になってしまうのかと言えば、その複雑な人間関係のせいだろう。
　前代の、六代目『爆音天国』のリーダーであった真嶋夏生は、横浜一の"強者"でもあった。
　そして、その親友は伝説になってしまう程、走り屋として名を残した者であった。
　それが、過去形になってしまうのは、族同志の抗争の中で起こった悲劇によって、二度と走りの世界に戻れなくなってしまったからだ。
　親友から、"スピード"を奪ってしまった事を償うかのように、龍也が所属していた『爆音小僧』は夏生の解散宣言によって、その歴史を閉じた筈であった。
　なのに、それを復活させたのが、鮎川真里なのだ。
　走れなくなった"彼の者"の後を継ぐかのように、"彼"の目指した『領域』を捜して、走りだした真里は、過去を吹っ切った龍也を"裏切り者"だと罵り・・・逆に龍也は、夏生の解散宣言に対して、旗上げした真里に対して、その感情を持ったのである。
　因って、同じ"者"達を目指した筈なのに、ここに因果な関係が持ち上がる事になってしまったのであった。
　そうして、彼等が全く違う意味で反発するもう一つのチーム、『魍魎』。
　ここも、切っても切れない因縁が在る。
　それは、"彼の者"の走りを奪う原因となった抗争の相手チームだったからである。
　『魍魎』の張った罠に巻き込まれて・・・。
　誰よりも走る事が好きだった"彼の者"は、その翼をもぎ取られたのであった。
　だから、真里も龍也も、『魍魎』に対しては同一の感情を持っているのだが、その事に関して手を組もうという気は更々なかったりする。
　その上、『魍魎』の"頭"である一条武丸という者が、また目の前に立ちふさがる強敵は、力でねじ伏せるという性格をしていたので、事態は更に悪化の一途を辿っていく一方で・・・。
　お互いに凌ぎを削っている状態なので、現在の横浜最大のチームは、"夜叉神"がその名を示しているのだ。
　夏生や、"彼の者"と共に『伝説の四天王』の名に連ねている鰐淵が"頭"を張っている故に。
　だが、均衡は危うい所でいつも崩れていく。
　こんな風に、夜の町中で鉢合わせて、そのまま乱闘になる事など、日常茶飯事の事でもあった。
　さりとて、拓にとって見れば、それはそれでまた凄まじい衝撃だったりする訳で・・・。
　＜ひーーん？！どっ・・・どうしよう・・・・＞
　初っぱなからこれでは、やってられない。
　『爆音小僧』が突っ込んでくる前に、臣はそれを予期して拓の身柄を、争いから外すかのようにパレードの中から目立たない場所へと連れだして、自分はその渦中へと戻っていってしまったのだが・・・。
　初めての参加で、見知った顔もなく・・・こんな場所に置き去りにされてしまったようで、拓は気が気ではない。
　目の前の乱闘の中に、自分から入っていける程、自分に力がない事が理解っていればいるほど・・・どうすれば良いのか理解らなくなって。
　―――博之くん・・・。南くん・・・。
　ただ、その身を案じて、隠れている事しかできないのだ。
　喩え、自分が出ていった所で、足で纏いになってしまうのは、目に見えていた。
　だからこそ、臣も拓を闘いの場から離したのだろう。
　ガクガクと震えていた拓は、それでも必死に乱闘の中で臣と南の姿を捜そうと、目を見開いて視線を彷徨わせていた。
　そうしている内に、その中で一番激しい乱闘を繰り広げている者達へと、視線が釘付けとなってしまう。
　＜あれは・・・？＞
　乱闘の中央で、ぶつかり合うその激しさに、拓は我が目を疑ってしまう。
　その者達は、二人供、拓の知っている者達だった。
　―――"青龍"のリューヤと、"朱雀"のマサト。―――
　拓の頭の中に、臣に聞いた言葉が蘇る。
　『どっちも、"飛"ぶモンだから、相手を堕としたくて仕方ねェんだ。ガルーダはドラゴンを喰っちまうらしいが・・・あの人は、マサトなんかに、負けるような人じゃねェからな。』
　臣の台詞通りに、目の前の闘いはどっちも怯む事もなく、拳がぶつかり合っていた。
　瞬間拓の中で、痛みが蘇る。
　それは、まるで伝えられない詞を秘めているような闘いだったのだ。
　拳でしか、相手に伝えられない悲しみのような物が、視界を通して拓の胸を締めつける。
　それが、何に対しての物なのかも理解らずに、ただ痛みだけが感じ取れた。
　そうして、ボウッとそちらに意識を向けていた拓は、すっかり自分の身を護る事を忘れてしまっていた。
　「テメー！『朧童幽霊』のモンかよっ？！」
　その言葉に、ハッと気付いた時には、拓の身体は吹っ飛んでいた。
　凄まじい衝撃が、拓の腹を直撃して・・・一瞬意識が遠のく。
　固いアスファルトの地面の感触にぶつかって、意識を取り戻すと同時に、強烈な激痛が腹部に広がった。
　「・・・っ・・・」
　お腹を抱えたまま、拓は呻くような息を吐き出した。
　痛みに涙が滲んでぼやけた視界の中で、口に大きなマスクをしている者が、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
　だが、次の瞬間その身体が吹き飛ぶ。
　それは、誰もが信じられない光景だったに違いない。
　何しろ、そのマスクの奴を吹き飛ばした拳の持ち主が、とてもそんな事をするような者ではなかったからである。
　「ぁ・・・？」
　起き上がれなくて、寝ころがったまま拓はその人物を泣きそうな表情で見つめた。
　遠くで、サイレンの音がする。
　だが、絡まった視線は、互いを見つめて。
　そうして、そのきつい瞳が、不意に自嘲気味に和らいだ途端に、拓の意識はフェードアウトしていた。
　
　
　最初の印象は、自分でも信じられない感情だった。
　―――モロ好みだ・・・。
　零れ落ちそうな大きな瞳が、真っ直ぐに彼の姿を映し出して・・・。
　サラサラのショートカットに、大きな瞳に、小さな鼻となだらかなラインの頬。
　顔だけを見た瞬間に沸いた感情は、次の瞬間に心の中でショックへと変化する。
　それを顔に出す事はしなかったが、目線がきつくなったのは、その所為でもあった。
　相手の着ている服が、女物でなく、自分と同じ学生服であった為に。
　つまり、男に対して、そういう感情を持ってしまった事に対する嫌悪が、つい、睨むという態度に出てしまったのだ。
　だが、いつもなら、彼の睨みに合うとそそくさと何処かへと逃げてしまうような者たちばかりだというのに、その相手は少し変わっていた。
　彼の睨みを真っ向から受け止めて、尚もその場に立ち止まっているのだ。
　それは、彼に取ってとても不可思議な現象だった。
　敵として睨み返してくる事もなく、ただ真っ直ぐに見つめてくる瞳に、彼の中で興味が沸いた。　それは、久方ぶりの感情だったと言っても過言ではない。
　前を走る"彼等"がいなくなってから、そんな瞳で真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返してくる者など一人もいなかったから。
　そうして、不意に目に留めた『それ』に、意識が捕らわれた。
　赤い・・・真紅のタンク。
　泣きたくなるぐらい懐かしい色の・・・"彼の者"と同じ"単車"。
　それは、偶然ではなく。
　彼の中で、相手に対する興味が膨れ上がった。
　「誰だ？テメェ・・・」
　零れ落ちた問いは、抑えきれなかった感情。
　初めて見かける顔で・・・だが、よくよく見れば、何処となく面影が似て・・・。
　"彼の者"とは、身に纏う雰囲気の違いがあったけれど・・・表情は端々に、それらが伺えるのだ。
　それでも、相手が行動を起こす事もなければ、彼の問いに対する答えが返る事もなくて。
　本当にその場に存在するのかを確かめたくて、彼は、近づこうとしたのだ。
　その瞬間まで・・・。
　足を踏み出して、後もう少しで届くかと思われた瞬間・・・射るような視線に身体が先に反応した。
　そうして、巡らせた視線の先にいた人物に、眼光を投げつける。
　サングラスの奥の瞳で、それを受け止めた相手は平然とした表情で・・・だが、彼のそれ以上の動きを止めてしまった。
　近づいてはいけないという、シグナルが彼の中に点滅したのだ。
　触れれば、逃れられなくなる。
　とてつもない・・・"強運"に、捕まってしまう感覚が、彼を支配した。
　「・・・鰐淵。」
　それは、確認の言葉だったのだろうか？
　彼の呟きに、返ってきたのは、無言だった。
　だから、彼は、身を翻した。
　ここで、動けば・・・"奴"が動く。
　―――それは、確かに一つの"予感"だったのかもしれない。
　彼――榊龍也にとって、逃れられない"強運"として・・・その存在は酷く意識の中に焼き付けられてしまったのだから・・・。
　
　
　天敵状態となっている『爆音小僧』と争う度に、龍也の中にわだかまりが残る。
　できる事なら、そんな名前のチームは二度と復活させたくはなかった。
　第六代目『爆音小僧』が、龍也に取って誇りであればある程、その名を汚して欲しくはないのだという事を、決して口にする事はないが。
　真里に"裏切り者"と罵られる度に、忘れようとしている怒りが蘇ってしまう。
　『爆音』の特攻服を脱いで、敵対するかのように違うチームを作った龍也にしてみれば、命を賭けた『爆音』は夏生が解散させた時点で"伝説"なのだ。
　それを、元のメンバー達に何の挨拶もなく、勝手に"彼の者"のバイクを直してそれを"単車"として『爆音』を復活させた真里の方が、許しがたい存在といえる。
　どれだけ龍也が、夏生達の事を尊敬していたのかも知らない癖に・・・。
　尤も、それを告げられるぐらいなら、こんなややこしい関係になどなってはいまい。
　告げて、仲良くやっていこう等という考えも、最初から微塵も持っていないのだから・・・それも仕方ないかもしれないが。
　あの日から、まだ一年程しか立ってはいない。
　なのに・・・あの時間が、とても遠くの物だったような気がするのだ。
　過去に捕らわれたら、何処へも動けはしない。
　あの夜の、辛い時間も・・・走り続ける限り忘れはしない。
　だが・・・"疾風"を感じていられる時間だけが、安らぎとなるのもまた真実だから・・・。
　"初代総長"として、チームを作った時から・・・龍也はずっと張り詰めたままなのだ。
　その琴線を響かせた者・・・。
　小さくて、"気"のかけらもなくて・・・なのに、気になって仕方ない。
　何かと言うと、真っ直ぐにつっかかってくる後輩の側に、自然とある存在が、そのまま意識から離れなくて・・・。
　それは、不可思議な感情。
　ふとすれば、苛立ちにも似た・・・。
　「・・・っ・・・」
　馬鹿馬鹿しいと思えば、思う程・・・意識に焼きついてしまったように、あの光景が蘇る。
　そうして・・・考えるよりも先に身体が動いていたのだ。
　―――あの瞬間に・・・。
　真っ直ぐに見られていると、闘いの狭間に気付いて・・・それが、誰の瞳なのかが、すぐに理解った。
　大きな・・・零れ落ちそうな―――眼差し。
　その感覚が、不意に途切れて・・・意識を向けた時には、自分の闘いは忘れてしまっていたと言っても過言ではなかっただろう。
　小さな身体が、吹き飛ばされたと同時に。
　確かに、その衝撃を受けたのだ。
　そうして、その"存在"を護る為に、行動していた。
　「・・・ク・・・ッ・・・」
　シニカルな笑みが龍也の口元に浮かぶ。
　捨てた筈の甘い感情が、自分をつき動かしたのだという事に気付いて。
　そうして、それの意味する事は・・・。
　こみ上げてくる感情は、嘲りか？
　己に対しての・・・。
　納得するには、不可思議過ぎて・・・だが、認めるにはまだ、掴み所が無さ過ぎる感情故に、龍也はただ苦々しく微笑う事しかできなかった。
　それがまた、らしくない事に、彼は気付く事もなかったけれど・・・。
　

　　　　　　　　
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