豪華なシャンデリアが眩しい巨大なホールの中、大勢の紳士・淑女が歓談に華を咲かせている。
都内の一流ホテルを借り切った大物政治家のパーティは、様々な上流階級者が、言葉を交わしながら互いの腹の中を探り合う。
表面だけ取り繕った言葉に含まれる、裏の裏を理解しなければ、どんどん奈落に突き落とされるだけだ。
そんな中でも、産まれ付いての気質が、人よりも高い位置にある者は自然と周りの目を惹き付ける。
それは、溢れ出る品格や、態度や・・・その身を覆う気の強さが半端なくて、目立つからだ。
それは、どんなに変えようと思っても無理だ。
だからこそ、目立ちたくない者は自然と人の集まる場所を嫌うのだが・・・。

ホールの中、限りなく周りの者たちの、特にご婦人や令嬢達の視線を掻っ攫っていた人物は、物凄く不機嫌な表情を顕わにしたまま、かったるそうにホール内をうろうろと移動している。
最初に、その姿を見付けた時には、一瞬自分の目を疑った程だ。
こういった政治家のパーティなど、権力に群がるような者たちが大勢集まる場所を誰よりも嫌う相手が、こんな場所にいる筈がないと考えたからだ。
だが、瞬きしてもその姿が消える事はない。
確かにそこに居るのだと気付いた途端に、今度は目を見開く。
銀の髪に褐色の肌と赤い瞳・・・この国では余りにも異質な外見は、周りの者以上に本人が一番気にしていた。
何処に居ても纏わり付くような視線が嫌で、息が付けない―――と、何度も彼に愚痴を零して。
帰国子女である自分の通っていたインターナショナルスクールで３年間、一緒に過ごした悪友が、それこそ何の未練もこの国に持たずに、両親と共に母親の国に帰ったのは、４年前の話だ。
久しぶりに会うその姿は、以前と殆ど変わっていなかった。
「―――カオちゃん？」
「・・・平蔵。セロニアスを見付けた。ちょっと、話してくる。すみません、失礼します。」
一緒に来た陣野に声を掛けると、周りを取り囲む女性に退席する旨を告げて辞する。
先程見かけた場所に、既に相手の姿は見えなかったが、まだ会場内の何処かにはいる筈だ。
踵を返した彼は、人混みの中に迷う事無く足を踏み入れた。

小さな身体が、キョロキョロと辺りを見回す。
オドオドとした態度と、困ったような表情から、どうやら連れか保護者と逸れたようだ。
歓談に夢中になっている者たちは、その姿を完全に視界から抹消しているかのように気付いていない。
緋咲が気付いたのは、ただ単に他の者を探す為に周りに気を配っていたからだ。
余りにもこの場所に不似合いなその姿は、全く無い覇気といい、どうしてこんな所にいるのかが不思議に感じられた。
間違って異次元空間に迷い込んでしまったかのような緊張した顔は、何処か幼い印象すら観る者に与えた。
その身を飾っているのが、どうみても身体に合わないサイズの借り物のスーツだというのも、似合わなくて逆に哀れを誘う。
中学生が、ちょっと背伸びをして大人の世界を覗きに来て、圧倒されているといった処だろうか？
余りにも挙動不審な態度に、ガードマンに捕まって尋問を受けているその姿が余りにも哀れだったので、緋咲は仕方なく悪友の捜索を諦めて方向転換した。
「―――そいつは、俺の連れだ。」
「え？」
屈強なガードマンに、腕を掴まれて引き摺られるように会場から連れ出されようとしていた所に声を掛ける。
驚いたように振り返った大きな瞳が、零れ落ちそうに見開かれる。
「これは・・・緋咲様。貴方様のお連れのお方でしたか・・・失礼を致しました。」
「あぁ。逸れて探していたんだ・・・手間をかけてすまない。」
ガードマンに向かって礼を言うと、そのまま細い腕を掴んで歩き出す。
「え？あの・・・ちょっ・・・」
「いいから、行くぞ。」
驚いたように何か言おうとする相手の言葉を遮る様に強く言うと、そのまま緋咲はその場から離れた。
ホールの片隅・・・目立たない場所まで行ってから、漸く掴んでいた手を離す。
「―――んで、誰に連れて来られたんだ？親は何処にいる？」
こんな子供を一人で居させる親の顔を見てやろうと思ったのは、ほんの気紛れ。
造られた灯かりの元でじっくり観察したその姿は、第一印象と全く変わらない。
さらっとした黒髪と、男にしては少し大き過ぎる気もする黒い瞳に、学生服を着せたら間違いなく中学生にしか見えない極普通の日本人だ。
何処にでもいるような本当に普通の・・・どちらかと言うとまだ不安定な性質を抱え込んでいる少年で、おどおどとした態度は、酷く保護意欲を掻き立てるようだ。
今日が社交界デビューだとしても、まだここに来るには早い感じがした。
「あの・・・親じゃなくて・・・友達に・・・」
「・・・あ？子供同士で来たのか？受付で止められなかったのか？」
思ってもいなかった答えに、一瞬驚く。
それなら、助けずにあのままガードマンに連れて行かせれば良かった―――と、今更ながらに後悔した。
「こ・・・子供って・・・っ！？―――た・・・助けてくれたのは、お礼を言いますけど・・・失礼じゃないですかっ！」
瞬時で顔を真っ赤にした相手が、少しだけ語尾を荒げて声を上げる。
相手が何で怒っているのか理解らない緋咲は、思わず眉を寄せた。
自分の身長が１８０ｃｍを超えているので、その肩先までしかない目の前の相手は、多く見積もっても１６０ｃｍあるかないかだ。
ディップで固めている訳でもないさらりとした髪といい、零れ落ちそうな大きな瞳といい、似合わないスーツといい・・・女の子が男装しているというのなら、大人と言っても納得するかもしれないが・・・。
「子供じゃないって言うんなら・・・幾つなんだ？」
「僕は・・・」
「―――見付けたっ！！」
少し声を潜めて問い掛ける緋咲に、言い募ろうとした小さな身体が、降ってきた声と共に、緋咲の目の前から消える。
「あぁ・・・もう、散々探したっ！！拓ちゃん可愛いから、誰かに連れてかれちゃったらどうしようかって・・・心配したよっっ！！」
「・・・あ・・・あぁ。時貞くん・・・。良かったぁ・・・」
大柄な身体にギュッと抱きこまれている少年の表情が、漸く安堵に和らぐ。
だが驚愕に包まれたまま、緋咲は声を失った。
見間違いようが無い銀の髪に、褐色の肌・・・自分が散々探していた者を思いがけずに見付けた驚きと、初めて見るその態度のギャップが、思考を痛め付ける。
「ん？ちょっと、涙滲んでるよ？―――誰かに、虐められた？！」
「え？・・・ちがっ・・・！」
「お前がっ・・・？！」
そうして、声を出せずにいた緋咲を振り返ったきつい紅い瞳が大きく見開かれる。
「・・・緋咲・・・か？」
「―――セロニアスッ！！」
自分の名を呼ばれて、漸く凍り付いていた緋咲の思考が正常に復活する。
その名を呼んで・・・思わず互いに強く抱き合う。
久しぶりに会う悪友は、全く変らない様子で口端に笑みを刻んだ。
緋咲も嬉しくなって、珍しいとも言える笑みを浮かべる。
「久しぶりだな！―――４年振りくらいか？何時、日本へ戻ってきたんだ？！」
「・・・一昨年の４月。」
「何だよ、全然連絡して来ないで・・・っ！」
「悪い・・・おじい様の言いつけで、横浜から出られなかった。」
要点だけを簡潔に言うその口調は、以前と全く変わらない。
そんな天羽に、更に緋咲は苦笑する。
「相変わらずだな、お前んトコは。」
「あぁ。ダディが逃げたから、全部こっちに来て、面倒臭い。マムのお願いじゃなければ、帰ってこなかった。」
「そっか・・・。」
互いに顔を突き合わせて、言葉を綴る。
外見については、緋咲も散々嫌な思い出があるので、同じ境遇同士で理解り合うのも早かった。
多くを語らなくても、相手の感情は互いに理解るのだ。
「あの・・・時貞くん・・・知り合いなの？」
恐る恐ると言った声が、二人に掛けられる。
視線を向けると、小さな身体をもっと縮込ませた状態で、顔を赤くした少年が困ったように視線を返してきた。
「あの、じゃあ・・・話すなら、もっと目立たない場所での方が・・・」
泣きそうに言う言葉に、漸く会場内で目立ってしまっている事に、気付いた。
見世物になる気は全く無いので、忠告は素直に受けて・・・連れだって外に設置してあるバルコニーに出た。
都内とはいえ、公園に隣接しているこのホテルは、敷地内の緑も豊富だ。
夜風が纏うのは、都会の街並みを渡る乾いた風ではなく、しっとりとしたこの季節に相応しい涼やかなものだった。
目の前の光景が、少し暑苦しいのを除けば・・・だが。
「・・・セロニアス？」
「ん？」
「何、やってんだ？お前・・・」
「―――精神安定剤の充電。」
意味が全く理解できない会話が、続く。
少年の身体を抱き締めるようにべったりと引っ付いたまま、天羽は嗤う。
緋咲の表情が怪訝に歪む。
その姿は、全く緋咲の知らない天羽を見ているようだ。
「・・・あの・・・気にしないで下さい。時貞くん、何時もの事なんで。ふざけているだけですから・・・。」
「―――やだなぁ・・・拓ちゃん。俺は、何時だって、本気だよ。拓ちゃんが、俺の安定剤なんだ。」
「・・・はい、はい。」
呆れたように溜め息を零して、されるがままになっている少年は、本当に慣れているようだ。
途端に、天羽の顔に刻まれた、見惚れるような微笑みは、その立ち位置から少年には見えなかったようだが、緋咲からはばっちりと見えてしまい、尚更信じられない。
昔の天羽は、絶望に取り付かれたように、全てを諦めるか壊すかという激しい性格をしていたのだ。
こんな風に、柔らかく微笑うなんて、天変地異が起こったか位の衝撃を緋咲に与えた。
平凡な容姿の、普通の少年の何処がこれ程天羽を惹き付けているのかが、緋咲には理解できない。
しかも・・・。
「俺の今一番大事な人を紹介するよ、緋咲。拓ちゃん、これは俺の昔の友達。」
「もう、時貞くん！・・・人を指さしてこれとか言っちゃ駄目だよ。―――えっと・・・僕は、浅川拓。時貞くんとは高校からの友達で、今は同じ大学に通ってて・・・ちゃんと、１９歳ですから。」
「何ィ？！大学生？！・・・同じ、歳っ？！」
告げられた言葉が、更に緋咲を恐慌に陥らせた。
どう見ても、中学生位にしか見えない少年の自己紹介に、思わず眩暈がした。
「嘘・・・だろ？どう見ても・・・」
「ちょっ・・・だから、さっきから子供とか・・・酷くないですか？同じ年なのに・・・」
「そりゃ・・・拓ちゃんが余りにも可愛いから、ビックリしてるだけだって。なぁ、緋咲？」
笑顔で振り返った天羽の目が少しも笑っていないので、緋咲はゾクリと背筋を奮わせる。
こういう処は、少しも変っていない。
なのに、腕の中の拓に向ける表情や雰囲気が、余りにも柔らかくて。
それだけで、天羽が余程大事にしている者なのだと、理解った。
「あ？・・・あぁ・・・」
仕方なく、緋咲は頷く。
ここで天羽の言葉を否定したら、間違いなく拓の機嫌は悪くなり・・・それは即ち天羽の機嫌も悪くなるのだという事に気付いたからだ。
「―――男が可愛いって言われても、ちっとも嬉しくないからっ！もう、どうして時貞くんはいつも僕をからかうの？今日だって、先日のノートのお礼に食事を奢るって言いながら、こんな場所まで連れてきて・・・」
「・・・拓ちゃん？」
「一言ぐらい先に言ってくれたって良いじゃない？しかも、この服、ぶかぶかだから・・・だから余計に子供っぽく見られちゃうんだよ！」
「―――でも、言ったら一緒に来てくれなかっただろ？」
「そ・・・それは・・・」
「拓ちゃんが、こういう場所を嫌いなのも知ってる。俺も大っ嫌いだから・・・。でもおじい様の言いつけは絶対で・・・一人じゃ、嫌だったんだ。」
プーっと頬を膨らませる表情からして既に子供臭いのだが・・・どうやら本人はそれを酷く気にしているようだ。
だが、キュッと腕の中のその小さな身体を抱きこんで、その肩に顔を寄せて、駄々っ子のように告げる天羽の姿の方に、緋咲は目を見張る。
こんな風に弱みを他人に見せる男だとは、今まで一度も考えた事が無かったからだ。
「もう・・・しょうが無いなぁ。今夜だけだからね。それと、時貞くんの用事が終わったら、直ぐに帰るから。」
「・・・うん。」
溜め息を吐きながら、困ったように告げる拓に、天羽は柔らかな笑みを返す。
その光景は、余程心を通い合わせた者同士に見えて・・・緋咲には少し眩しく映った。
だが、次の瞬間に思いついた事に顔を歪める。
「お前等・・・どういう関係なんだ？・・・まさか・・・」
「え？どういう関係って？・・・僕たち、友達だよ、ね？」
「―――そう。俺は、それ以上になりたいけど・・・ね。」
「・・・そういう冗談ばっかり言ってるから、誤解されるんだよ、時貞くん。幾ら、女の子対策だって、こんな場所でまで使わなくっても良いのに・・・」
「こうやって、何時もはぐらかされて、早２年だ。手強い・・・だろ？それに、凄く純粋なんだ、俺の拓ちゃんは・・・」
「時貞くんっ！」
緋咲の質問に、それぞれ言葉を繋ぐ。
その内容で、緋咲は二人の関係を大体理解したが、謎は深まる一方だ。
仲良くじゃれ合っているようにしか見えない二人だったが、その感情には随分と大きな隔たりがあるようだ。
天羽の言葉裏に秘められたメッセージを受け止めた緋咲は、苦く思う。
自分に対してまで、牽制するほど、捕らわれているのか―――と。
「理解った、理解った。要するに、物凄く仲が良い“お友達”・・・ね。」
肩を竦めて、逆に強調して言い返す。
牽制して、自分のモノ宣言した悪友に、ちょっとムッとしたからだ。
幾ら自分が気に入っているからといって、誰もがそうとはならない。
どう見ても、普通でしかありえない、パッと見で直ぐに意識から抜けてしまいそうな少年に、誰が惹き付けられると言うのだ。
見当違いな敵愾心を持たれた事に対する苛立ちが、声にトゲを持たせた。
「じゃあ、俺もお友達の仲間に入れて貰っても構わないよな？」
「・・・え？」
「緋咲、薫。早稲田大学・経済学部２年。セロニアスとは、横須賀のインターナショナルスクールで３年間一緒に過ごした悪友だ。これ、俺の名詞。他に何か質問は？」
笑みを浮かべて、名詞を差し出す。
勿論、営業ではないので相手から貰う事は全く考えていない。
「・・・緋咲？！」
「・・・えっと？」
驚いたような天羽の声を聞きながら、キョトンとした拓に近付く。
「俺の知ってるセロニアスを、ここまで変えたお前に興味がある・・・と、言ったら、怒るか？」
「―――変えた？時貞くんの事？別に僕が何かした覚えは全く無いんだけど。・・・うん、時貞くんの友達なら、良いよ。えっと・・・緋咲くんだよね？宜しくね。」
「あぁ。宜しく。」
握手した途端に、天羽の顔色が変る。
褐色の肌の色が、目に見えて変るというのも珍しい。
「拓ちゃんっ！取り消してっ！緋咲も、余計な事するなっ！」
「え？何？・・・何で、そんな事言うの？時貞くん・・・？」
本気で不思議そうな顔をする拓に、緋咲は苦笑する。
鈍感も、ここまでくると確かにある意味では凄いかもしれない。
心底驚いている天羽の顔を見ながら、緋咲は本気でそう思った。
「―――余計な虫が付いた！もう帰ろう、拓ちゃん！」
「へ？虫って何処に？ちょっ・・・時貞くん、用事は終わったの？ねぇ・・・？」
グイッと緋咲から拓を隠すようにして、天羽は感情を隠さないでその手を掴んで歩き出す。
突然な天羽の行動に、びっくり眼のまま拓は引き摺られるように連れていかれる。
小さく呟かれた台詞からは、本気で理解ってない事が伺えて、可笑しくなる。
「もう・・・本当に気紛れなんだから・・・時貞くんはぁ・・」
困ったようにブツブツ言いながら引き摺られていく拓が、緋咲に視線を向けて、少しだけペコリと頭を下げた。
バイバイとでも言うように手を小さく振った拓に、緋咲も片手を上げて応えた。
そのまま二人の姿はホールを突っ切って出口へと向かっている。
一人残された緋咲は、夜風に当たりながら視線を外に向けた。
華やかなシャンデリアの輝きも届かない外は、ここが都会だという事を忘れさせるように、静寂に包まれている。
公園の更に向こうが海に面しているからかもしれないが・・・。
それでも、地元の横須賀で感じる潮風はここでは感じられない。
あの街の色々な国が混ざったような独特の空気は、都会の様に洗練されたものでは決して無いから。
それでも、目を閉じれば鮮やかに思い出す懐かしい記憶。
「―――横浜・・・か。」
天羽の居場所を知って、眉を潜めて嗤う。
そう言えば、天羽の実家がある場所だ。
あの頃は実家に居たくなくて、天羽は好き勝手に暴れたくて横須賀の学校にまで来ていた。
最初に出会った時は、互いに相手が目障りで・・・本気で死闘を交わしたものだ。
そうして、ボロボロになって互いに理解りあって。
―――付き合ったジュニアハイの３年間は、一緒に馬鹿な事ばっかりやって楽しくすごした時代だった。
天羽が、この国を出て・・・自分の立場が改めて浮き彫りになる瞬間まで。
この４年間で、緋咲の人生は大きく変ってしまったのだ。
それこそ、天羽の事を笑えない程には。
胸ポケットを弄ろうとして、そこに煙草が入ってない事に気付く。
このような場所では吸わない事を決めたのを、今更ながらに後悔した。
無いと理解ると無性に吸いたくなる。
自分もさっさとこの場所から退散しようと、緋咲もまたホール内に向かって歩き出した。

それは、ＧＷが終わった５月半ばの些細な出来事。
だが、この夜の拓との出会いが、その後の己の運命を更に大きく変える事になろうとは、その時の緋咲には想像も付かない事だった。