babies' breath

カチャカチャと金属の醸し出す音が工場内に響く。
片手にスパナを持って小さなビスをはめ込んでいた彼は、きっちりと思い描くままに嵌った個所を見て満足したように息を吐きだした。

「ふぅっ！ちょうど形の合うのがあって良かった。」

その眼差しを和らげて、目の前の愛車を愛しむように見つめてから、汚れた手袋のまま顔の汗を拭う。
どちらかと言うとまだまだ薄ら寒いこの時期なのだが、春の足音が直ぐそこにやってきている３月半ば。
しかも小春日和と言うのが相応しい程の穏やかな天気の今日は、少しの力仕事でも汗が滲んだ。
だが、汗は拭えたが、頬には手袋の汚れが移ってしまっていた。
勿論、鏡がある訳ではないから本人には全く理解らないのだが・・・。

「くすくす・・・」

小さな笑い声が響く。

「ん？」

振り返った彼は、自分の作業を物珍しそうに大きくて黒曜石のような瞳でずっと見ていた相手に視線で問い掛けた。
可愛らしい笑みは、年以上に幼い容貌を際立たせる。

「あのね・・・ほっぺた、汚れちゃってる。」
「え？ほんと？どこ・・・っ？！」

可笑しそうに告げられた甘えの含んだ声に、慌ててゴシゴシと顔を擦ると、更に笑顔が弾けた。
そうして、漸く手袋自体が汚れているのだと認識して、困ったように両手を叩いた。

「これじゃ、意味ないか。ははっ・・・」

そうして、立ち上った埃に困ったような笑顔で一緒に笑った。

穏やかな土曜の昼下がり。
遊ぶ約束を交わしていたのは、ひょんな事から知り合った３歳年下の男の子。
一番最初に出会った時は、夜だったのとその体格からして小学生かと間違えたのだけど・・・再会した時には学生服を着ていた。
最初は仲の良かった友達の代わりに、一緒に遊ぶ約束をして、兄のように接していたのに、気付いたら気持ちはすっかり成長してしまって。
妹とは違うのに、可愛く甘えてくれるし、年よりも若干低い精神年齢の仕草の一々が、無性に保護欲を掻き立てる。
一人っ子だから、上手く周りの皆と合わせられなくて、唯一の友達を失ってからは学校にも馴染めなくて苛められてるとは本人の談だが・・・それが、真実では無い事をなんとなく理解していた。
大体、少し一緒に居ただけでほっとけないという印象を相手に与える雰囲気を醸し出しているのに、本気で苛める奴がいるとしたら余程根性がひねくれているとしか思えない。
妹と親友以外には全く気を遣う事なく生きてきた自分を、あっさりと陥落した天然は、いっそ褒め称えても仕方ないぐらいなのに。
今日も出会った瞬間に、はにかむように渡されたのは綺麗にラッピングされた袋で。
中身を確認して絶句してると、柔らかな頬がありえない程赤く染まっていた。
消え入りそうに恥ずかしがってる相手の、言い訳を辛抱強く聞いたら、先月のチョコレートのお返しだと返ってきて。
それは、純粋な思慕。
邪な感情など全くこれっぽっちも含まれていないのに、心の何処かで望む自分がいる。
まだ両手で数える程しか会っていないのに、恐ろしい程の勢いで気持ちが斜めに傾いていく。
年上なんだからもう少し上手く立ち回って、尊敬されるようになりたいのに・・・。

空気取りの高窓から日差しが降り注ぐ。
作業場の端、明るくなっている場所で重なる様に座り込む塊。
小さな身体を大事そうに抱え込んで、汚れた顔のまま幸せそうに眠っている親友の表情を見て、煙草休憩に入っていた夏生は一瞬瞠目した。
それは、今の普段の彼では絶対に見られない寝顔。
まだ自分たちが知り合ったガキの頃、二人で探検した遊び場で疲れて寝てしまった頃には見られていた、懐かしいモノ。
いつしか周りを取り巻く環境に雁字搦めになって、色々な物を諦めるようになってしまった親友が、これ程までに大切にしている存在。
それが、吉となるのか凶となるのか理解らないが、寄り添って眠っている二人の姿は、邪魔をするのが憚れるような雰囲気を醸し出していた。
エンジンの調子がおかしいと二人で顔を出してから、まだ３０分も経っていないのに。
周りを見れば、散らばった工具や部品が散らばっていて・・・それからどうしてこの状態になったのかも全く理解らないのだけれど・・・。

「―――やれやれ。風邪、ひくぞ。」

咥えていた煙草を灰皿に押し付けて小さな声で呟くと、今朝帰ってきた時に、作業の前に椅子の背に掛けておいた自分の特服を掴む。

「・・・特別に、貸してやる。」

苦笑して、夏生はバサリと二人に掛けてやった。
そのまま、大きく背伸びをして、開けっ放しの出入り口外の陽だまりに目をやる。

「あぁ。確かに、今日は眠くなるぐれぇ、あったけぇな。」

目を細めて眩しげに陽光を眺めて欠伸をした後で、夏生は胸ポケットから二本目の煙草を取り出して、口に咥えて感慨深げにそう呟いた。

        終わり。  ／　　戻る